書評

『ノスタルギガンテス』(パロル舎)

  • 2017/10/28
ノスタルギガンテス / 寮 美千子
ノスタルギガンテス
  • 著者:寮 美千子
  • 出版社:パロル舎
  • 装丁:単行本(218ページ)
  • ISBN-10:4894191067
  • ISBN-13:978-4894191068
内容紹介:
生成する廃墟、世界の裂け目、あらゆる名づけ得ぬ廃墟。ノスタルギガンテスと呼ばれはじめた公園の木、そのまわりに着々と集まりはじめる様々なものがまきおこす、不可思議な現象を少年の視点から描く。
寮美千子の書くものはマザー・テレサをめぐるものからボリス・ヴィアンのパスティッシュともいうべき戯詩まで、実に多岐にわたっている。もっともとりわけわたしの関心を牽くのは、ひとつには彼女がどうやら生来的にもっている特定の場所への偏愛であり、もうひとつは命名の政治学とでもいうべき認識である。最初のものは快楽原則に対応し、快きノスタルジアと退行への誘いをわれわれに向かって訴えかけている。二番目のものは現実原則に動機付けられたもので、最初のものと一見したところ対立しているように思われる。長編『ノスタルギガンテス』を例に、このふたつの牽引しあう力がどのように働いているのかを見てみたい。

わたしは先にこの作品を、木登りの悦びを描いた物語であると論じ、デュラスの『木立ちの中の日々』や宮沢賢治の『風の又三郎』などとともに、『世界木登り文学全集』ができないだろうかと夢想したことがあった。ひとりの孤独な少年が新興住宅地である自分のアパートの周辺にある樹木を、宅地造成の以前から存在している古い樹木と、その後に計画的に植林された新しい樹木に分けることから、それは語り起こされている。彼は潔癖症の母親の手で危うく捨てられそうになった手作りの恐龍の模型を、古い方の欅の樹の天辺近くに、そっと針金で結びつける。樹木はまたたく間に象徴的な力を発揮して、団地の住民たちの深層心理に訴えかけ、彼らは理由もわからぬままに、自分たちがどうしても捨てることのできないガラクタを樹木の枝に、結び付ける。その結果、森の奥にあるこの樹木は奇怪なクリスマスツリーのような体裁を帯びるようになる。これが寮美千子に特徴的なトポフィリアである。

『ノスタルギガンテス』は、分析心理学のセラピストが悦んで飛び付きそうな物語である。

古代人は想像力のなかに、宇宙の中心にあって、宇宙を支えている巨大な樹木の映像を抱いていた。『古事記』のアマノミハシラや、ゲルマン神話のワルハラに向かって伸びる巨木、『旧約聖書』のヤコブの階段などが、その典型的な例である。宗教学者ミルチャ・エリアーデによれば、この宇宙樹は、時間が直進するのではなく円環をめぐりながら反復してゆくという時間意識に、みごとに対応しているという。この宇宙樹というイメージは、たとえば現代の小説家でいうならば、大江健三郎や中上健次にも霊感を与えてきた原型であった。『ノスタルギガンテス』に登場するキップル(役に立たないガラクタ)を満載した榎の樹は、そのもっとも新しい、そして零落した姿であるということができる。零落したと書いたのは、その樹木を祭壇として捧げられるものが、もはや神聖なる獣でもなければ、荒ぶる男たちの魂でもなく、割れた鏡や動かなくなった時計、壊れた玩具、もう使われなくなった靴といったものだからである。

寮美千子はこうした塵埃(ごみ)をブリコラージュ(ありあわせのモノを組み合わせてつくる作業)することで、俗悪さを逆転して神聖なるものを築きあげることに成功している。わたしはそれが、たとえばブードゥー教徒たちが作りあげる凶々しい祭壇と樹木の組み合わせに似ていると思う。ハイチの黒人たちはこの樹木のまわりを廻りながら恍惚状態に陥り、神を体験するのだ。『ノスタルギガンテス』の主人公である少年は、みずから気が付かないうちに木登りを通して、日本の稚(おさ)な神へと変身する。

だがこの小説の後半部は、予想もつかなかった展開を見せる。ガラクタでいっぱいとなった樹木は、写真家によって撮影され、評論家によって命名される。それは実験芸術という範疇を与えられ、化学的処理によって固定される。博物館のコードに基づいて、「芸術」として処理されてしまう。寮美千子がここで語っているのは、本来は名前も定型もなく自在に活動していたものが、ひとたび名前を与えられることによって封じ込められ、停滞と死へと向かうことになるという物語である。この樹木はそもそも人間の言葉による定義づけを拒否したうえで、ユニークな、名付けられないオブジェとして成立していた。それが言葉による命名を受け入れたとき、何が生ずるだろうか。ところでわれわれが生きている日常生活は、つねにこの命名による事物の分節化(明確化、区分化)を当然のこととして成立している。寮美千子が進もうとしているのはこうした文化の一般原理に対する抵抗であり、それは現代芸術と映像の収奪、分配、消費の政治学に対する批判をも含んでいる。

古代の中国に混沌という、目も口も耳もない化物がいて、あるとき人が哀れに思って、彼に穴を開けてやった。すると混沌はその日のうちに息絶えてしまったという。『ノスタルギガンテス』の結末は、この昔話を想起させる。と同時に、現代芸術が芸術として命名されないかぎり芸術たりえないという、別世紀の不幸な状況に対して、ある註釈行為を行なっている。この長編を形作っているのは、こうした二つの力であるように、わたしには思われる。

かつて『ジャックと豆の木』の主人公は、木登りの末に父親ともいうべき巨人を倒して、幸福な結末を得ることができた。『ノスタルギガンテス』にはそのような恐ろしい父親が存在していない。というより寮美千子の作品世界全体は、凶悪なる男性原理の脅威がもとから排除された、きわめて平板な構造のもとにあるといえる。悪が見えるところに発見できない世界とは、実のところ悪が遍在している世界でもある。寮美千子がその事実を見据えるようになったとき、彼女の作品はよりラディカルなものとなるだろう。それはすべてが退屈な善意に包まれた妖精的な世界を脱して、真に畏怖すべきものに向き合うこととなるだろう。

【この書評が収録されている書籍】
人間を守る読書  / 四方田 犬彦
人間を守る読書
  • 著者:四方田 犬彦
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:新書(321ページ)
  • 発売日:2007-09-00
  • ISBN-10:4166605925
  • ISBN-13:978-4166605927
内容紹介:
古典からサブカルチャーまで、今日の日本人にとってヴィヴィッドであるべき書物約155冊を紹介。「決して情報に還元されることのない思考」のすばらしさを読者に提案する。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

ノスタルギガンテス / 寮 美千子
ノスタルギガンテス
  • 著者:寮 美千子
  • 出版社:パロル舎
  • 装丁:単行本(218ページ)
  • ISBN-10:4894191067
  • ISBN-13:978-4894191068
内容紹介:
生成する廃墟、世界の裂け目、あらゆる名づけ得ぬ廃墟。ノスタルギガンテスと呼ばれはじめた公園の木、そのまわりに着々と集まりはじめる様々なものがまきおこす、不可思議な現象を少年の視点から描く。

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