書評
『チャタトン偽書』(文藝春秋)
偽書の真実
十八世紀イギリスにトマス・チャタトンという天才詩人がいた。中世の古詩を復元したと称する作品を発表したが、偽作の嫌疑を持たれて十八歳で自殺した。チャタトンといえば天才的贋作者か、十代でそれだけの仕事をした天才詩人か、スキャンダラスないかがわしさがいまだに尾を引いている。だから『チャタトン偽書』という小説が二百年後に出てきた。はじめはアレック・ギネス主演の幽霊映画でも観るような、うす気味の悪いユーモア小説という感じである。チャタトンだけではなく、ジョージ・メレディスやウォリスのような前世紀の詩人・画家が墓場からむくむくよみがえってき、かわりに現代の詩人や小説家があっさり死んでしまったり、瀕死の老化や衰弱に見舞われたりする。そんなふうに時間が倒錯しているだけではない。嘘とほんとう、偽書とオリジナルの位相が幾重にもすり変わり、登場人物のほとんど全員が贋作者なので、あわよくば一束の古原稿で大穴を当てようものと、ゲームの駆け引きがおそろしく込み入ってくる。揚げ句は、すべてが冗談から出た駒の空騒ぎと知れる。
そう書くと、ありふれたポストモダン小説と思われかねないし、事実ポストモダン小説の剥製じみた模作といえないこともない。口汚いジョークをうそぶくためにだけ生存しているような老女作家や、ベストセラーの不安におびえる小説家、パンチとジュディの人形劇を地でゆくようなホモの夫婦や幽霊じみた古道具屋夫婦、それぞれが血の通った人間よりは剥製人形のようにぎくしゃくと動きまわる。なかで主人公の貧乏詩人のサロンだけが金のなさゆえに例外的にあわただしい時間からとりのこされて、乏しさの楽園を形成している。
ところがその最後の楽園も、ニセ肖像画が持ち込まれるや世間と地続きになってあえなく崩壊してしまう。それを再建するために事件の全体を小説として書きあげようと登場人物の一人が決意し、どうやらそうして書かれたのがこの小説らしいと見当がつくあたりで、空騒ぎは一転、作中にちらりと姿を見せる白痴の子どもの沈黙のようなものをよびだして空騒ぎを相対化するための饒舌と分かる。同時に相対の遊戯は死んで、ポストモダンはめでたく盗作され、昔ながらの創作がはじまる。スリの手口みたいな早業と古めかしい温かみが奇妙に共存している小説である。
【この書評が収録されている書籍】
朝日新聞 1991年1月13日
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