構造的な矛盾 今も酷似
日本が戦争への道を歩んでいた一九三三年(昭和八年)、ドイツの一新聞記者として来日したリヒャルト・ゾルゲは、当時のソビエト共産党の指令のもと諜報(ちょうほう)活動をはじめた。八年後、日本の警察に逮捕され、連座した尾崎秀実とともに処刑されるが、本書はその間にナチ統治下のドイツの専門誌に寄稿した日本研究論文と、モスクワに送った秘密通信を主として構成されている。同じ版元から三十年以上も前に出版された「現代史資料」の一冊からの再録だが、読みやすく入手しやすい形としたところに意義がある。最初の「日本の軍部」というリポートの冒頭で、彼は「日本の目下の情勢はその近世史上最も困難な一つである」と前置きし、産業の危機と矛盾、軍事支出による国家財政の圧迫という情勢にもかかわらず、日本には政治上の指導者がいないという。政府は力量も決意もない。政党は汚職と内部抗争のため退化し、官僚は無能である。国家社会主義的色彩をおびた若い組織は分裂し、中世的ロマン主義的陰謀にエネルギーを空費している。将来の変革に決定的役割を演じるのは軍部であろう、と予告する。
ゾルゲは学者的な資質があると自認していたが、これらリポートのいずれも場当たり的なものではない。当時の日本人は有識者といえども客観的な情報に接することができず、分析力も持ち合わせていなかった。かんじんなことは、これらの報告書にえぐり出された日本の構造的な矛盾が現代日本の状況と恐ろしいほど似ており、従って日本が間違いなく同じ道を歩んでいることを認識させることだ。現に政治経済の自己改革が進まず、官僚の不在が七十年前よりはるかに大きいという状況のもとで、頃合(ころあ)いをはかったように有事関運法などが成立している。
一見情報のあふれているように思える現在だが、わたしたちの自国を冷静かつ客観的に分析し、展望する能力が、往時に比してけっして高くなったとはいえないことを疑わせる一書である。