書評
『秘密』(東京創元社)
視点と時間軸を行き来する叙述
相変わらず、ケイト・モートンの手並みを堪能できるミステリだ。フィクションでは、「わたしは」と一人称で語っていることには主観が混じるが、「彼は」「花子は」と三人称で語られる内容は基本的に客観的なこと――大方そんな了解がある。ところが、事実の記録者と思っていた者がじつは犯人や狂人だったりして、真偽が反転するような叙法もある。しかし、『秘密』にはこうした叙述トリックは一切ない。正統的な語りの技で勝負する。
幕開けは1961年のイギリス、サフォークの農場。4人姉妹と末弟のいる家族がにぎやかに誕生日パーティを開いている。そこで長姉のローレルはおぞましい出来事を目撃。見知らぬ侵入者を母ドロシーがナイフで刺殺したのだ――男の正体は? 結婚前の母に何があったのか? 第二幕では、長じて国民的女優となったローレルが、封印していた殺人の記憶を不意に思いだし、母の知られざる側面を追いかけ始める。
構成としては、『秘密の花園』を下敷きにした先行作『忘れられた花園』と似て、複数の人物視点と時間軸を行き来しながら進行する形だ。ローレルが突き止めていく真相と並行して、第2次大戦前、戦中時の若いドロシー、向かいの屋敷に住む憧れの作家夫婦、カメラマンで恋人のジミーという4人の視点から、それぞれの経緯が語られる。そこに挟まれる写真や本や手紙。ハロルド・ピンターの戯曲「バースデー・パーティ」や「ピーター・パン」からの引喩……。誰にも隠された面と秘密があり、誰しも邪(よこしま)な心と無縁ではない。人々の思惑が絡みあい、パズルのピースが収まったと思ったとたん、別の大きな絵が現れる。
時に一人称の語りにも「わたし」の知らない真実が覗き、三人称の語りが主観に支配されていることもむろんある。その人の笑み、仕草(しぐさ)の意味することは何か? 序盤で発せられる「お願いよ、ドリー、大事なことなの」この台詞(せりふ)が終盤でどんな形で反復されるか? イリュージョニスト、モートン一流の芸が如何(いかん)なく発揮されている。
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