後書き
『オール・アバウト・セックス』(文藝春秋)
単行本あとがき
いまから四年ほど前、『文藝春秋』編集部の鈴木康介さんから、エロス関係の本だけを取り上げる書評のページを担当してみないかと提案された。鈴木さんは、私が『週刊文春』の「私の読書日記」でときどきこの手の本を書評していたことから、アイディアを思いつかれたのかもしれない。私としては、エロス本を書評することに関してなんの抵抗感もなかったのだが、一つ大きな問題があるように思えた。毎月書評するほどの本が出ているのかという疑問である。とくに、最初の頃は、毎月三冊というのがノルマだったから、おおいにこの点を危惧した。
もちろん、たんなるエロ本、つまりポルノ小説だったら、毎週山のように出版されている。しかし、私としては、どうせなら書評を通しての日本のセックスのフィールド・ワークのようなものを試みたいと思ったので、普通のポルノ小説ではなく、ノンフィクションにしろ、フィクションにしろ、現在の日本のセックス状況が露呈されているような本がほしかった。だが、そんな本が毎月、おあつらえ向きに見つかるのか?
ところが、いざ始めてみると、心配はまったくの杞憂だとわかった。とくに、女性が書き手となったり、対象になったりするエロス本は、予想をはるかに越えた点数が出版されており、時代は変わったことを痛感させられた。
おかげで、一年の約束だった連載が二年になり、三年になり、ついには四十二回まで続くこととなった。
やがて、こうして数を重ね、量をこなすうちに、当初には予想もしなかった効果があらわれ始めた。毎回、できるかぎりヴァラエティを持たせようと腐心した結果、セックスに関するありとあらゆる分野がカバーされるようになったのである。一言でいえば、本当に「エロスの図書館」ができあがったというわけだ。
しかも、それはかなり総合的な図書館で、検索キーで探せば、たちどころに、これこれの分野のエロス本があらわれてくる。とりわけ、こうして一冊にまとまったかたちのものとしては、絶後とはいわないが空前であることは確かだ。われながら、なんという本を書いてしまったのかとあきれるほどである。とにかく、セックスに関してないものはほとんどない(ホモ、レズ関係は若干手薄だが)。
というわけで、このエロスの総合図書館を『オール・アバウト・セックス』と名付けることにした。先に上梓した対話集『オン・セックス』と併せて読んでいただければ幸いである。なお、本にするにあたっては、読みやすさを考慮して、編年体ではなくテーマ別に編集し直したこと、および『週刊文春』二〇〇一年八月十六・二十三日合併号に載った鼎談を併せて収録したことを付記しておく。
最後に、あしかけ四年にわたり連載の面倒をみてくださった鈴木康介さん、それに、本にするに当たってお世話いただいた岡みどりさんに、この場を借りて、感謝の言葉を伝えたい。
二〇〇二年二月二日 鹿島茂
文庫版のためのあとがき
このたび、文庫化されるに当たって、もう一度、全体を読み直してみたが、特に古びているという印象を受けなかったのはどうしたことだろう。連載開始から七年、単行本となってからも早三年たつというのに、セックスに関する状況はそれほど変化しているようには見えない。連載中に確認した世紀末のセックス状況は、すでに行き着くところまで行ってしまっていたということなのか?ただ、取り上げた本の多くが絶版ないしは品切れになっていることには時代の流れを感じざるをえなかった。その後に文庫化されたものも含めて、今日では入手しにくくなっているものは少なからずあるようだ。これはロングセラーというものを許さない今日の出版事情もおおいに関係しているのでいたしかたないことかもしれないが、残念なことではある。
しかし、それゆえというべきか、にもかかわらずというべきか、本書がすでに時代を映す一つのドキュメントとなっているとだけは確言できる。私が書評に取り上げ、引用をしたことにより、資料として残った本もままあるからだ。
この意味で、本書は、エロス本を通じてのフィールド・ワークという目的を二重に果たしたと「結果的」にいうことができるだろう。つまり、その現実の状況の反映として、もう一つは出版の状況の反映として。
文庫化に当たっては、文藝春秋出版部の川田未穂さんにお世話になった。記して感謝の言葉を伝えたい。
二〇〇五年一月一日 鹿島茂