書評
『大川周明 ある復古革新主義者の思想』(講談社)
「実践家」と「思想家」とのきわどい均衡
大川周明とは誰か。民間人として唯一極東軍事裁判において、大東亜共栄圏を基礎づけた思想犯とみなされて、検察側から起訴されたものの、一度も思想戦を戦うことなく、脳梅毒による発狂のため裁判から除外された人物。起伏の激しい一生だったことが、彼の劇的生涯のこのような一面からもわかる。まさに毀誉褒貶そのものの人生であった。なるほど明治・大正・昭和と進む時代の只中にあって、自らの生き方と日本国家のあり方とを重ね合わせて、日本近代のもつ矛盾に思い悩んだ人々は多い。その葛藤の中から何人もの人物が作家・思想家・宗教家というように、己の道をやがて選びとっていくのが常であった。
だが大川の場合、○○家という表現には収まりきらないほど行動半径が広い。ある時は北一輝や満川亀太郎と結んで猶存社を興し、またある時は行地社を設立して軍への積極的働きかけをなす。もちろん国家改造運動のためだ。挙げ句の果て一線を越えて、三月事件、十月事件そして五・一五事件にまで関わってしまう、運動家・実践家として面目躍如たる趣だ。
しかし大川は同時に理論家・思想家としても、「特許植民会社制度研究」や「復興亜細亜の諸問題」を始め多くの著名な作品を残している、さらにアジア研究に踏みこむと、インド・イスラム研究の先駆者として知る人ぞ知る存在に他ならない。このように複層的に展開する大川のアイデンティティーを、いったいどこに求めうるのか。
著者はまず大川のパーソナリティの中に、冷ややかな理性と燃えるような情熱との危うい均衡を見出す。次いで日本の西洋化に対して、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を唱えたと説く。そしてこの三者の歴史的かつ理論的整合性如何を解くことが、本書のテーマとなる。
もっとも大川のある意味でのスケールの大きさが、整合性の問題そのものを越えてしまう嫌いなしとしない。ただし、大川にとって実践家と思想家とのきわどい均衡は、著者も示唆するように、青年時代から大川に芽生えていた教育者的資質に由来するのではなかろうか。
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