クビから一転、社長職から得た処方箋
春先に一週間、伊豆へ断食に行くのを恒例行事にしている。毎年通ううち、気づいたことがある。参加者に、仕事上の悩みを抱えた女性が少なくないのだ。会話を交わすようになって聞くのは、自分の時間がないこと、現状を変えたいのに上司の理解が得られないこと、組織のなかで働く息苦しさ……出口のなさに直面して、途方に暮れている。断食は、それこそ現実を何とかして断ち切らなければ、という直感に突き動かされてのことらしかった。大瀧純子著『女、今日も仕事する』を読みながら、本書をこそ彼女たちに手渡したいと思った。もちろん、働き方を模索するすべての女性たちにも。時代に跋扈(ばつこ)するパワーゲーム、型を押しつける精神論、マニュアル重視の仕事論などとは、本書は一線を画す。遠い理想、きれいごと、上から目線、どれもない。1967年生まれ、一児の母であり妻、社会人としてもがきながら、一日ずつ足もとを踏み固めてきた等身大の成長記録。仕事を捉え直すために有効な手掛かりが数多く提示されている。
全八章、タイトルの冒頭に「女」とある。「女、母になる」「女、仕事をつくる」「女、クビになる」「女、社長になる」という具合。しかしそれは、権利の主張やマニフェストのためではない。母や妻という役割、年齢にともなう身体の変化を受け容(い)れ、長く仕事を継続させる軸足としての「女」。ほかでもない自分の性なのだから、むりに押し殺したり戦ったりするのではなく、まず自分を大事にして職場のみんなを味方につけていこうという、しなやかな視点だ。
では、そのためにはどんな知恵が必要か。地道な体験から掴(つか)んだ言葉に、霧を晴らす力がある。パワーゲームに乗らない。身体感覚にも似た手探りの試行錯誤を大切にする。上司の性格を客観的に見極める。「足りない」ものは、むしろ自分をスタートさせる、等々。また、クビから一転、まさかの社長職から得た確信にも、私は蒙(もう)を啓(ひら)かれた。いわく、先を急いで白黒を判別せず、大事なのは「問いのなかに居続けられる力」。すると、いつか「『決める』というより『決まる』」−仕事のみならず、人生の処方箋たり得る言葉である。
本書に実名で登場し、かつての「ダメ上司」と名指しされるのは、批評家として活躍する若松英輔さん。その若松さんもまた、女性とともに働くことで迷い、おおいに悩みながら、ドラスティックな変化を遂げてゆく。行間から浮かび上がってくる著者と若松さんとのバランスの変化、あるいは調和のプロセスは、いかに仕事がひとを動かし、磨き、育てるか、その可能性をリアルに伝えて誠実な説得力がある。
著者は、会社という場を「農業」のイメージに重ねる。性別役割意識に取り込まれず、土壌を耕せば、必ず変化は生まれる。仕事の可能性は、目前の現実のなかにこそあるという発想に、気持ちが晴ればれとする。男性にもぜひ読んでもらいたい、収穫の大きな一冊だ。