選評
『はるがいったら』(集英社)
小説すばる新人賞(第18回)
受賞作=飛鳥井千砂「はるがいったら」/他の候補作=深見仁「始まりの虹」、鰓ノーチェ「ファッショ」/他の選考委員=阿刀田高、五木寛之、北方謙三、宮部みゆき/主催=集英社/後援=一ツ橋綜合財団/発表=「小説すばる」二〇〇五年十二月号物語とその語り方
『始まりの虹』(深見仁)の粗筋を一口で言えば、ポルノ雑誌の女性ライターが、ある理由から大きな沼のある村に出かけて行き、そこで村人たちによって監禁されていた、コトバを発することのできない少女を救い出す話ということになる。作者の「物語の語り手」としての才能が並みのものではないことを示す魅力的な筋立てだが、その展開に疑問がある。推理小説のような発端が、やがて恐怖小説に転じ、おやと思う暇もなく今度は言語実験小説に化け、さらにハリウッド製の活劇脚本に早変わりして、ええっと仰け反っていると、哲学小説から難解な詩のようなものに至って終わる。作者はいろんな小説のパタンを意識して並べたのだろうか。これはいろんな小説のパロディなのだろうか。そう思って読み返したが、どうもそうではなさそうだ。つまり作者は、この内容(物語)を紡ぐための最良の形式(語り方)を見つけ損なったようにおもう。作者に力はある。もう一度、挑戦してほしい。『ファッショ』(鰓ノーチェ)の冒頭は出色である。女主人公の売れないミュージシャンがオフィス街の川に架かる石作りの橋の欄干に腰をかけてたこ焼きを食べていると、小学三年生の男の子がやってきて、「ぼくの葬式のプロデュースをしてほしい」と頼まれるのである。ところが余命半年というこの少年の病名がはっきりしない。したがって病状もよくわからないから、話がちっとも前へ進まない。そこでせっかくの着想も鮮度が落ちて行く。語り方にはパンチと諧謔があって、そこにまぎれもなく作者の才能が感じられるが、肝心の物語に隙が多く、残念な結果になった。
『はるがいったら』(飛鳥井千砂)は、物語の中核に「はる」という名の捨て犬の一生を据えて、姉と弟の精神的な成長を書いている。その犬の生きた時間は十四年。そこで話を犬に戻すたびに、読者には小説の中の時間の進み具合がよく理解できる仕掛けになっている。巧者な仕掛けだ。一読して「天下泰平だなあ。登場人物たちはそれぞれ自分の二メートル四方のことしか頭にないんだなあ」と思ったが、再読すると、「なるほど、近ごろの若い人たちは、このように考えて、このように行動しているのか」がわかってくる。たとえば、評者などは「若い人たちにとってもっとも大事なのは、相手のファッション・チェックなのだな」と知ってとても驚いた。完璧主義者の姉(私)と、人生なんてそんなものだ主義者の弟(俺)が交互に語る仕掛けも、作品に奥行きと陰影を与えていて、この語り方は成功している。そして、傍系の登場人物たちを一筆描きで鮮やかに切り取る技量にも、作者の才能があらわれていた。
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