後書き

『本の音』(中央公論新社)

  • 2017/12/18
本の音 / 堀江 敏幸
本の音
  • 著者:堀江 敏幸
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(269ページ)
  • 発売日:2011-10-22
  • ISBN-10:4122055539
  • ISBN-13:978-4122055537
内容紹介:
愛と孤独について、言葉について、存在の意味について-本の音に耳を澄まし、本の中から世界を望む。小説、エッセイ、評論など、積みあげられた書物の山から見いだされた84冊。本への静かな愛にみちた書評集。

文庫版あとがき

本書の親本が出てから、ほぼ十年の時が過ぎた(事務局注:文庫版出版は2011年)。記憶を確かめるために初出一覧をのぞいてみると、最も古いものは冒頭に収められたドゥルーズの著作についての小文で、一九九四年六月とある。書評と呼ばれる枠のなかで窮屈そうな言葉をならべはじめたのは、おそらくその前年あたりからだろうと思うのだが、個々の発表媒体が抱えているレイアウト上の縛りによって求められた、一文字超過による行のはみだしを解消するための部分的な調整がうまくいかず、冒頭の一文からぜんぶ書き換えるといった作業をむなしく繰り返していたことを思い出す。メモなどはなしで書き出して、あとは流れに任せるのがいつものやり方だから、中途に位置する語句を差し替えるより、最初からやり直したほうが、時間はかかっても精神的な負担は少なかったのである。

書評に、書き方などというものはない。どのように書いたらいいのか、かつてもわからなかったし、いまも答えの見つからない状態でずっと苦しみ続けている。ひとつはっきりしているのは、簡単なあらすじや内容の刈り込み方で、評者の力量はたいてい知れてしまうということだ。専門分野であるとないとにかかわらず、これは公の場で他者の本の中身を紹介する際の基本であり、基本であるからこそ最も難しい作業になる。おなじ作品について書かれた何人かの書評を読み比べてみれば、どこをつまみ上げ、どこを切り落とし、どんな目線で筋を抜き出しているのかみな異なるはずで、その捉え方の相違が評全体の色合いを決めると言っても過言ではない。気を利かせたふうの言い回しや評者自身の身辺の話題、あるいは著者との個人的な関係などを無理して埋め込まなくても、梗概がすべてをさらけ出してくれる。

ただし、そうとも言えない本もある。面倒なことに、私には昔から中身をまとめようのない本を好む傾向があって、右(事務局注:上)のドゥルーズの本についての一文なども、十数年ぶりに読み返してみると、まさに闇のなかを手探りで進んでいるような、わざわざ闇のなかに入って行こうとしているような印象を受ける。自分の意志でそうしているのでなければ、いったいどうして一冊の本の冒頭に、『消尽したもの』などという不穏なタイトルの書物を持ってくるだろうか。

疲労したものは、ただ実現ということを尽くしてしまったのにすぎないが、一方、消尽したものは、もはや何も可能にすることができない。

この一節が、いまも重くのしかかる。疲労は誰にでも与えられた、仕事のあとの御褒美のような状態であって、それはある事態を乗り越えてつぎに進む過程の、一時的な後退でしかない。本を読んで心を動かされ、動かされた心を、整理しないまま、生のかたちで第三者に手渡す愚を犯さないよう気を配りながら、なんとか冷静を保って言葉を探す。疲れはそのつど襲ってきて、あたらしい「評」の実現にむけて多少の励ましを与えてはくれるのだが、現在まで幾度もその疲れを解消し、先に進んではきたにもかかわらず、私は一度も「消尽」の域に達していない。ベケットが語っているのは、もうなにも出てこない状況に陥ったところからどう言葉を吐き出すかだ。いつまで頑張ってみても私には反復がせいぜいで、「消尽」の恐怖を呑み込む勇気がないということなのだろう。「疲労」に甘んじた心身を「ペンギンふうに揉みほぐしてほしい」などと書いているのが、その証拠だと言っていい。

それでもなお、どんなに微弱なものであれ本の音に耳を傾けてきたのは、音さえなくなる状況の一歩手前に身を置くことが重要だと考えてきたからである。自分だけの書き物ならなんの問題も生じない。しかし、他者の才能をべつの他者に橋渡しするつもりなら、その橋だけは安易に壊すわけにいかない。本というものは、読めば読むほど、それについて書けば書くほどこちらを謙虚にするもので、自分が梁の一本にでもなれれば、もうそれでじゅうぶんなのだ。橋の下にも、橋の上にも、本の音は響く。私はこれからも、消尽ではなく、精進に向かうだろう。

最後になったが、ながく絶版状態だった本書に目を留めて文庫化を推し進めてくださった中公文庫編集部の角谷涼子さん、ふたたびあやしいペンギンを使ってカバーを飾ってくださった間村俊一さんに、深く御礼申し上げたい。

二〇一一年九月二十一日
堀江敏幸
本の音 / 堀江 敏幸
本の音
  • 著者:堀江 敏幸
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(269ページ)
  • 発売日:2011-10-22
  • ISBN-10:4122055539
  • ISBN-13:978-4122055537
内容紹介:
愛と孤独について、言葉について、存在の意味について-本の音に耳を澄まし、本の中から世界を望む。小説、エッセイ、評論など、積みあげられた書物の山から見いだされた84冊。本への静かな愛にみちた書評集。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
堀江 敏幸の書評/解説/選評
ページトップへ