書評
『富国と強兵』(東洋経済新報社)
混乱極める世界情勢を見通す
冷戦終了から四半世紀が経過した。当初は村上泰亮(やすすけ)、ローズクランスをはじめ、自由競争市場が世界に拡(ひろ)がり、各国が経済発展の軌道に乗ることで紛争にかまけることはなくなると多くの論者が予想した。ところが経済グローバリズムは二〇〇八年の世界金融危機を引き起こしたし、各国で格差が拡がっている。世界第二の経済力を蓄えた中国は、ユーラシアに「陸のシルクロード」を築くとともにアジア・中東からアフリカへ至る「海のシルクロード」も通すという「一帯一路」構想で、周辺地域と摩擦を引き起こしている。
またロシアはウクライナを巡りアメリカやEUと対立するばかりか中国に接近しているし、イギリスがEUを離脱、果てはTPPからもトランプ米新政権が離脱を決めてしまった。自由主義陣営の知識人が抱いた目論(もくろ)みは、大きく軌道修正を迫られている。なぜこんな事態となったのか。
TPP反対論の旗手でもある著者は、主流派経済学や新自由主義が金科玉条とする経済グローバリズムこそが誤りだったとして、壮大な「地政経済学」を提唱している。目次を眺めるとマッキンダーの地政学、ケインズ主義、歴史社会学にコモンズの制度経済学とあり、近年の経済学では忘れ去られた学説のごった煮と見えるかもしれない。明敏な著者は地政学の埃(ほこり)を落とす仕掛けとして、二点を用意している。
一つは、国際経済学者ダニ・ロドリックが指摘する「トリレンマ」である。グローバリゼーションとは各国に制度や慣行の撤廃を迫ることだが、それと国民国家と民主政治のうち、いずれかを断念しなければならない。国家官僚がTPPのようなグローバリズムに乗ってしまえば、国民の選挙を通さず制度や慣行は廃棄される。EUのようなグローバル機構では、イギリス国民は優遇されずルーマニア人移民と対等に扱われる。これらに耐えられない人がTPPに反対したし、EU離脱をもたらした。
では、グローバリゼーションは誰が望むのか。機会均等を求める平等主義者かと思われるが、そうではない。移民労働者を安く雇って儲(もう)ける企業と富裕層が支持しているのである。
だがグローバリゼーションを押しとどめたとして、何によって景気回復は実現するのか。著者はそれが、赤字財政による公共投資で可能になるという。ここで続けて疑問が生まれる。政府が国民の貯金を上回る累積赤字を背負うなら、国は財政破綻するのではないか。
これに答える仕掛けがイングランド銀行が唱える「信用貨幣論」に潜むと、著者は言う。銀行制度において、預金通貨は他人が振り込んだ預金が転送されて生まれるのではない。銀行は資金を求める人の口座に(返済可能と判断し準備預金を積む限りで)貸出額を記帳する。それだけで預金通貨は発生するのだ。政府にしても、国債を民間に消化してもらわなくてよい。政府紙幣を発行すればよいのだ。預金通貨にせよ政府紙幣にせよ、「受領」されさえすれば通貨になるのだから、不況期には政府は支出をいくらでも増やせるのである。
私には、この貨幣論の適否は国家がどこまで「信用」されるかにかかっていると思われる。信用されうる国家像については、ネイション、軍事技術、費用逓減産業、地理的差異など、長期にわたって富を生み出す仕組みが全20章で重厚に語られる。一読すれば、混乱を極めるかに見える世界情勢が、筋を通して見えてくるだろう。
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