書評

『マックイーン―最後のヒーロー』(早川書房)

  • 2017/07/08
マックイーン―最後のヒーロー / ウィリアム・F・ノーラン
マックイーン―最後のヒーロー
  • 著者:ウィリアム・F・ノーラン
  • 翻訳:高橋 千尋
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:単行本(385ページ)
  • 発売日:1985-04-00
  • ISBN:4152032839
久し振りに「一読巻を措くあたわざる」本に出会った。この本は題名からも分かるように、五年前に癌で死んだ俳優スティーブ・マックイーンの伝記である。しかしただのスターの生と死の記録ではない。本書はマックイーンという現代のヒーローを主人公にした、一個の優れた冒険小説とみることもできるのだ。読者がマックイーンのファンであろうとなかろうと、一人の男が男らしく生きたというこの記録を前にすれば、等しく胸を打たれるに違いない。

マックイーンは、日本でも人気を博したテレビのシリーズ西部劇「拳銃無宿」で、一躍スターになった。子供の頃は家庭環境に恵まれず、少年院にはいったり不良グループを率いたりする悪童だった。スターダムにのし上がってからもその反骨精神、反体制の生き方は変わらず、妻を含む周囲の人びとをはらはらさせる。最初の妻とは十四年間暮らすが、カー・レース狂いが主な原因で離婚してしまう。

マックイーンのレーサーぶりについてはすでによく知られているが、本書を読むとそれが単なるスターの道楽ではなく、人生の大きな部分を占めていたことがドラマチックに描かれ、その重みに愕然とさせられる。マックイーン自身の言葉を借りれば、「私はレースをやる役者なのか、それとも芝居もするレーサーなのか、自分でもよくわからない……」というくらいなのだ。マックイーンにとってレースは生きていく上で不可欠のものだった。「私はもともと攻撃的な男で、何かで発散する必要がある……私はレースで発散するんだ。レースで危険をおかし激しく闘っても、それだけの価値があるのは、それが私を人間にしておいてくれるからだ」

マックイーンはスタントマンを必要としない、ほとんど唯一のスターだった。彼はまやかしを嫌い、カーチェイスの場面ではいつも本物を要求した。ヒット作「ブリット」の撮影場面、あるいはセプリングのレースに自ら出場して大健闘するくだりなどは、映画そこのけの迫力があって感動的ですらある。

しかしマックイーンが、ぶっきらぽうで傍若無人な見かけとは裏腹に、ナイーブで傷つきやすい、優しい心の持ち主だったこともよく分かる。弱者にはかならず手を差しのべ、しかもそれを売名行為と思われたくないために、マスコミにひた隠しにする。こうしたマックイーンの、陰影豊かな人間像が迫真の筆運びで綴られる本書は、本人はもとより百五十人近い関係者をインタビューして書き上げられたというだけに、実証的で強い説得力を持つ。並の筆力ではない、と思ったらそのはずで、著者のW・F・ノーランは探偵作家ダシール・ハメットの研究者、伝記者としても知られる著名なライターなのだ。ハメットに取り憑かれたノーランが、マックイーンに興味を抱いた理由は、本書を読めばおのずと明らかになるだろう。 ちなみに訳者の高橋千尋は映画通として知られ、これまでにもジョン・フォードや西部劇、ターザン映画等に関する優れた訳業を残している。文章の読みやすさ、味わい深さでは、第一線の翻訳家の中でも屈指の人である。

やっつけ仕事の多い近頃の出版界、翻訳界の現状を思うと、本書がこうした丹念な仕事をする人たちの手で書かれ、訳されたことは、マックイーンにとっても読者にとっても幸運であるといいうるだろう。

【この書評が収録されている書籍】
書物の旅  / 逢坂 剛
書物の旅
  • 著者:逢坂 剛
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(355ページ)
  • 発売日:1998-12-01
  • ISBN:4062639815
内容紹介:
「掘り出し物」とは、高値のつくべき古本を安く探し出すことではなく、自分一人にとって、掛けがえのない価値のある本と出会うこと。世界一の古書店街、神保町を根城とする名うての本読みが、自信をもってすすめる納得の本、本、本。作品別の索引がついた、絶対に面白い本の読み方、楽しみ方を綴る書物エッセイ。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

マックイーン―最後のヒーロー / ウィリアム・F・ノーラン
マックイーン―最後のヒーロー
  • 著者:ウィリアム・F・ノーラン
  • 翻訳:高橋 千尋
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:単行本(385ページ)
  • 発売日:1985-04-00
  • ISBN:4152032839

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初出メディア

週刊東洋経済

週刊東洋経済 1985年6月1日

1895(明治28)年創刊の総合経済誌
マクロ経済、企業・産業物から、医療・介護・教育など身近な分野まで超深掘り。複雑な現代社会の構造を見える化し、日本経済の舵取りを担う方の判断材料を提供します。40ページ超の特集をメインに著名執筆陣による固定欄、ニュース、企業リポートなど役立つ情報が満載です。

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