前書き

『悪の箴言(マクシム) 耳をふさぎたくなる270の言葉』(祥伝社)

  • 2018/03/07
悪の箴言 耳をふさぎたくなる270の言葉 / 鹿島茂
悪の箴言 耳をふさぎたくなる270の言葉
  • 著者:鹿島茂
  • 出版社:祥伝社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(344ページ)
  • 発売日:2018-03-02
  • ISBN-10:4396616430
  • ISBN-13:978-4396616434
内容紹介:
たった一行で致命傷になることも。鹿島茂が生涯をかけて集めた“言葉の短刀”。耳をふさぎたくなる270の言葉。

はじめに

マクシム maxime というフランス語があります。

ルイ十四世の時代に生きた文人ラ・ロシュフーコーの著作《Réflexions ou sentences et maximes morales》が短く《Maximes》と省略されたことから一般に流布するに至った言葉です。ラテン語のmaximaに由来し、「行動方針、道徳基準」というような意味で使われていましたが、ラ・ロシュフーコーのこの著作により、「辛辣な人間観察を含んだ格言、箴言」という意味でも使われるようになりました。

以来、フランスでは、この文学形式が好まれ、それぞれの時代のそれぞれの文人がマクシムを残すようになりました。有名なところでは、十八世紀のヴォーヴナルグ『省察と箴言』、シャンフォール『箴言と考察』、十九世紀のボードレール『赤裸の心』、サント=ブーヴ『我が毒』、アナトール・フランス『エピクロスの園』、二十世紀のE・M・シオランの『生誕の災厄』などがあります。

このうち、アナトール・フランスの『エピクロスの園』は芥川龍之介の『侏儒の言葉』に、ボードレールの『赤裸の心』は萩原朔太郎の『虚妄の正義』にそれぞれ影響を与えたと言われています。

また、バルザック、フロベール、モーパッサン、ゾラといった十九世紀の小説家たちも小説の中にマクシムをちりばめるのを好みました。このように、マクシムはフランス文学を貫いている一つの大きな水脈と見なすことができます。

ではいったい、マクシムとはどのようなものと定義できるのでしょうか?

まず、それは、具体的事例ではなく、人間一般を目指したものでなければなりません。主語は「私」でも「あなた」でも、また「彼」でも「彼女」でもなく、「人」でなければならないという条件があります。文学は万人に当てはまるような普遍性を持つべしという古典主義理論に則ったものです。

次の条件は、マクシムは、エレガントなものでなければならないということです。ただし、この場合のエレガントというのは、数学で「この解法はエレガントだ」というように、「最小努力の最大利益」を目指すが、決して乱暴であってはいけないという意味です。つまり、マクシムは、いかに辛辣で、「日本人なら耳をふさぎたくなる」ような猛烈な毒を含んでいても、それが、切り詰められた端正な言葉で語られているというのが必要条件なのです。

ではどうして、このような文学形式がフランスに生まれたのでしょうか?

それは十七世紀という時代が関係しています。

十七世紀の中頃、フランスはフロンドの乱と呼ばれる内戦に明け暮れていました。ルイ十三世が薨去し、幼いルイ十四世の摂政となったアンヌ・ドートリッシュは宰相にマザランを抜擢しましたが、この人事に反対する大貴族たちが叛旗を翻し、あと少しのところで、ブルボン王朝を崩壊させるところまで行ったのです。

しかし、マザランの巧みな手腕により、フロンドの乱が収束すると、成人したルイ十四世は一六六一年から親政を開始し、後に絶対主義と呼ばれる強固な中央集権の政治体制を築きました。

とはいえ、このルイ十四世時代の平和は、奥深いところで大きな緊張を抱えていました。つまり、帰順したかに見えた王侯貴族は面従腹背で、王の権威を失墜させてやろうと虎視眈々と狙っていたのです。

その結果、ルイ十四世は戦いなくして敵を倒す方法について考えを巡らさざるをえませんでした。「武器による戦い」に代えて「エスプリの戦い」をもってするにはどうすればいいか考察したあげく、思いついたのが、ノルベルト・エリアスのいう「宮廷作法」で、王侯貴族はこの宮廷作法に従ううちにいつのまにか王の権力に屈従していったのです。

「エスプリの戦い」は、この宮廷作法の位階争いの戦場から生まれてきましたが、マクシムは、こうした宮廷でのエスプリのバトルに最大の効果を発揮しました。寸鉄人を刺すの類いで、敵に面と向かってではなく、あくまで一般論として発せられたマクシムが「言葉の短刀」のように相手の心臓を一撃で貫くと同時に相手の宮廷での位階を下げるのに貢献したからです。

その結果、『三銃士』に描かれたように、なにかあればすぐに剣を抜いて決闘に及んでいた粗野なフランス貴族たちが、ヴェルサイユ宮殿では、もっぱら言葉のフェンシングに明け暮れるようになったのです。

そして、この伝統が今日まで絶えることなく脈々と続いています。フランス人は、いまだに、議会で、ジャーナリズムで、さらには会社で、あるいは家庭でも、このエスプリのバトルを日夜繰り返しています。マクシムはこの仮借なき戦いを勝ち抜くための武器として重宝がられ、ラ・ロシュフーコーやラ・ブリュイエール、パスカルなどのマクシムを満載した本やネット・サイトが日々、閲覧されているのです。

私は、中学生のころに芥川龍之介の『侏儒の言葉』を読んで以来、このマクシムに深く魅せられ、マクシムのコレクターとなりました。以下に、お見せするのは、こうした生涯をかけて集めた二七〇のマクシムに私なりの注を施したものにほかなりません。

それでは、「マクシムの王」ラ・ロシュフーコーの残した究極のマクシムから始めることにしましょう。

二〇一八年二月 鹿島 茂

悪の箴言 耳をふさぎたくなる270の言葉 / 鹿島茂
悪の箴言 耳をふさぎたくなる270の言葉
  • 著者:鹿島茂
  • 出版社:祥伝社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(344ページ)
  • 発売日:2018-03-02
  • ISBN-10:4396616430
  • ISBN-13:978-4396616434
内容紹介:
たった一行で致命傷になることも。鹿島茂が生涯をかけて集めた“言葉の短刀”。耳をふさぎたくなる270の言葉。

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