時代のかけらを集めて見事に奏でられた物語
音楽評論家・高橋健太郎、初の小説。主人公のカズは、行方不明になった伯母の家で、古い映写機に触れるうち、タイムスリップしてしまう。それだけではない。どうやらそこは地下鉄で、ヘッドフォンで音楽を聴いている若い女性の体に入りこんでしまったようなのだ……。よくある近未来小説? いや、断じて違う。近未来への時空間の移動は、小説にとって大きな問題じゃない。伯母の教え子のリキがヴァイオリン奏者であること、ドイツの伝説的ミュージシャンのジーモンとカズの祖父が残した戦前のリボン・マイク、ベヒシュタインのピアノ……それらが重層的に絡まり合い、最後には一本の糸へと縒(よ)り合わされる。著者は一見バラバラに散らばったさまざまな事象を見事な手つきで、ひとつの作品へとまとめあげている。
むろん小説家の書いた小説とは、文章の錬成され方が違う。会話がぎこちなかったりもする。しかし、特に、古いリボン・マイク(これはナチスのマイクでもある)をきちんと実証していくくだりは、説得力十分。
それと、音楽評論家らしく、その時代それぞれの音楽の聴取の仕方に敏感だ。
たとえば、2003年。私たちはMDウォークマンを使って盛んに音楽を聴いていなかっただろうか。デジタルサウンドとはそういうものと思っていなかったろうか。その数年後にはiPodに完全にとって代わられたけれど……。
その時代にはその時代の音楽の聴き方がある。著者は、百年ぐらいの音楽の楽しみ方を頭に収めて、この小説を書いている。だから時間は自由にまたぐことができなければならない。いろんな世代の、いまはもう死んでしまった人を含め、登場人物を束ねる音楽の魅力を、文章の形で表現した快作。