解説

『行くぞ!冷麺探険隊』(文藝春秋)

  • 2017/04/23
行くぞ!冷麺探険隊 / 東海林 さだお
行くぞ!冷麺探険隊
  • 著者:東海林 さだお
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(253ページ)
  • 発売日:1999-01-00
  • ISBN-10:4167177404
  • ISBN-13:978-4167177409
内容紹介:
盛岡で冷麺を、小樽で寿司を、高松でうどんを、博多でフグをラーメンを、ハワイでマイタイを、そして極めつきはアフリカのサファリでシャンペンつきの朝食を…。ショージ君初めての、世界を股にかけた旅行記。とくに『少年王者』世代が体験するアフリカは、おとなのためのディズニーランドの趣。

私はショージ君にマインドコントロールされている

思えばショージ君とは長い付きあいである。高校生のころ電車で拾った『漫画サンデー』で、ショージ君(アサッテ君だろうがタンマ君だろうが、主人公を総称してこう呼ぶことにする)と知り合って以来、はや三十年以上がたっている。おかげで、ショージ君のことなら何でも知っている。エッセイに登場するようになってからは、こちらも全巻繰り返し読んでいるので、はっきりいえば、ショージ君以上にショージ君のことを知っている。頼まれたら『ショージ家の謎』という本だって書けないことはない。ゴジラ・フリークとかウルトラマン・フリークがあるように、完全なるショージ君フリークなのだ。

しかも、その打ち込みの度合いが、そんじょそこらのショージ君ファンなどとはまったく違っている。孔子の弟子たちが、「子、曰く」といいながち生活を律したように、常住坐臥、なにごとも、ショージ君を規範に仰いで行動している。

たとえば、電車の中や駅の構内でイチャつくアベックを見ると、これは「水かけ段階」、これは「石投げ段階」と、ショージ式段階判定法が適用されるし、中華料理屋で、ラーメンの汁を一口すするたびに隣の男のドンブリの残留汁をひそかに睨んでは自分の汁の残留度が多いことを確認し、こちらのほうが人格競争に勝っているわいと一人ほくそ笑んだりする。

旅に出れば、これはショージ君が訪れて「こわいよー」と叫んだ場所であるとか、あれが漫画に描かれたオバチャンであるとか、たちまちショージ君の足跡を辿るツアーになってしまう。語彙も「中古ギャル」だとか「ニャグー」だとか「ケンネカンネの法則」だとか、ショージ語の借用頻度がきわめて高い。すべて、これショージ論語を熟読含味した結果、身についた行動様式、思考様式なのである、いまふうにいえば、私は身心ともにショージ君にマインドコントロールされているのである。

親がこの有り様だから、必然的に影響は子供にも出る。なにしろ、わが家では、子供たちが物心つかないころから、会話の中にショージ君という名前が最も頻繁に親の口から発せられ、「ショージ君がこういった」「ショージ君がこうした」といってばかりいたので、子供たちは、ショージ君というのは、父親の一番の親友であるとばかり思い込んでいたようである。おかげで、字が読めるようになると、子供たちは真っ先にショージ君を読むようになり、そのままショージ教に帰依してしまったのである。一家挙げての入信である。

それだけではない。わが家では、ネコまでがショージ教徒なのである。
 
あるとき庭に一匹の野良ネコが迷い込んできた。その瞬間、みんないっせいに「なにぃ、これ、ショージ君のネコそっくり!」と叫んだ。これはなんとしても飼わないわけにはいかない。名前はなんとするか?「ニボ」というのはいくらなんでもショージ家のネコの物まねである。そのとき、ショージ君の漫画では「なにぃ!」と人が驚くとき「にゃにぃ!」となることが頭に閃いた。かくして、そのネコは「ニャニィ」と命名され、「ガルルルル」とショージ語を発してメスネコに襲いかかっているのである。



一事が万事この調子だから、ある夜、私が遅く帰ってきて、「今日、本物のショージ君と会ったぞ」と報告すると、家族全員から「すっ、すごい! どうだった?」という質問がいっせいに浴びせられた。

ところが、私は、これに対して、「う、うん」といったっきり、口をつぐんでしまったのである。というのも、本物のショージ君と劇的な出会いを果たしたにしては、その状況があまりにもまずかったからである。

その夜、私は、B出版社のA君と銀座の有名な文壇バーSで飲んで、妙に盛り上がっていた。

こちらの少々お下品で、助平っぽい話がホステスさんに受けて、キャーキャーやっていたのである。誤解のないよう一言つけくわえておくと、私は女子大の教師なので、若い女の子と話すことは珍しくもなんともなく、むしろ面倒臭いと感じるほどであり、普段は銀座のクラブなどでもダンマリを決め込んでいる。だからこれはきわめて例外的な盛り上がりだったのである。

そこに、ドカドカと、隣の席に、新しい客が入り込んできた。A君に尋ねると、文春漫画賞の審査委員御一行様だという。しかし、直接に顔を知った方もないようなので、こちらはホステスさんたちとあいかわらずキャーキャーを続けていた。

すると、なんとなく、左の頬のあたりに、電子ビームでも当たったような痛みを感じた。より正確にいうと、殺気のようなものを覚えたのである。ショージ式段階判定法でいうと、かなりグレードが高く、「水かけ」か「石投げ」の段階である。

思わず、顔を向けると、一人のホステスさんをおいて、そこになんと本物のショージ君、つまり東海林さだお氏がいた。東海林氏は文春漫画賞の審査委員だったのである。「マ、マズイ。よもや、こんなところで、ショージ式眼殺の対象に自分がなろうとは」。おまけに、間にすわっているホステスさんは、東海林氏に背中を向けたまま、私のほうに話しかけているばかりか、あまつさえ膝に手まで置いている。ようするに、ショージ君が一番怒り心頭に発するパターンが出揃っているのである。なにしろ、私はショージ君以上にショージ君のことは知りつくしているので、これが最悪のシチュエーションであることはだれよりもよくわかっていた。こんなときに名乗りをあげて、私はあなたのファンですとは告白できない。ショージ君ではないが「エーン、エーン」である。どうにかならないのか。

そのうちに、御一行様の席でバイアグラの話が出て、おおいに盛り上がってきた。現物のバイアグラが配られ、東海林氏も手のひらにのせて真剣な面持ちで見つめている。よし、タイミングは今しかない、私は思い切って話しかけた。かねてよりの大ファンであり、以前、漫画文庫の解説も書かせていただいたと伝えた。すると、東海林氏は「あっ、鹿島さんですか。じつは、昨日、S社のB氏とお話ししてたところです」と笑顔で応えてくださった。そういえば、前々日、S社の編集者B氏に是非、一度東海林氏にお会いしたいと紹介を頼んでいたのである。いずれにしろ、眼殺だけは免れたようだ。しかし、ホステスさんはあいかわらず東海林氏に背中を向けたままだ。そこで私はにわかに立ち上がると、「私、今日はここで失礼します」と一目散に退散してしまったのである。

以来、今まで、もんもんとした日々が続いている。東海林氏は私が一番会いたかった人であると同時に一番会うのが恐ろしかった人でもある。なにしろ、これだけ観察眼の鋭い人はそうはいない。本書でも「小樽の夜」の板前さんやホステスのかおりさん、「博多の夜の食べまくり」の「推定年齢六十九歳」の「おねえさん」の会話の拾い方を見れば、氏がバルザック級の慧眼の持ち主であることは容易に見て取れる。どの旅行記も、おおいに笑えるだけではなく、風俗観察としての超一級のものであることはいうまでもない。五十年後、百年後に二十世紀後半の日本の社会とはどんなものだったか調べようとする歴史研究者にとっては、ショージ君シリーズは最高の史料となるだろう。

であるからして、「見られてしまった」私は、恐ろしくて仕方がないのである。

おまけに、今度は解説である。手が震え、指がわななくから、ワープロで「ショージ君」と書こうとしても、「シシシシシシシ」となってしまって、いっこうに先に進まない。そこで、大岡昇平の『野火』の主人公のように、右手を左手で押さえつけ、なんとかここまでしのいできた。本当はショージ式レトリックの本質について書きたかったのだが、それはまたの機会に譲ろう。

ショージ教徒のみなさん、クラブで盛り上がるときは周りを見てからにしましょうね。

【この解説が収録されている書籍】
解説屋稼業 / 鹿島 茂
解説屋稼業
  • 著者:鹿島 茂
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(238ページ)
  • 発売日:2001-08-00
  • ISBN-10:479496496X
  • ISBN-13:978-4794964960
内容紹介:
著者はプロの解説屋である!?本を勇気づけ、読者を楽しませる鹿島流真剣勝負の妙技、ここにあり。

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行くぞ!冷麺探険隊 / 東海林 さだお
行くぞ!冷麺探険隊
  • 著者:東海林 さだお
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(253ページ)
  • 発売日:1999-01-00
  • ISBN-10:4167177404
  • ISBN-13:978-4167177409
内容紹介:
盛岡で冷麺を、小樽で寿司を、高松でうどんを、博多でフグをラーメンを、ハワイでマイタイを、そして極めつきはアフリカのサファリでシャンペンつきの朝食を…。ショージ君初めての、世界を股にかけた旅行記。とくに『少年王者』世代が体験するアフリカは、おとなのためのディズニーランドの趣。

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