書評
『ファイナル・カット―『天国の門』製作の夢と悲惨』(筑摩書房)
映画という巨大な賭事の魅力
映画の中のガンファイトなど、監督と映画会社のそれに比べれば屁(へ)みたいなもんだと言ったのはサム・ペキンパー監督だが、この後者のガンファイト、映画監督にとっては、製作費をストップされるかファイナル・カットの権利を取り上げられるかすれば負けとなるのだから、いわば必敗の戦いときまっている。しかし、ガンファイトである以上、映画監督が勝ってしまうことも原理的にはありえる。だが、その場合には、映画会社はどうなるのか。じつは、十年ほど前この事態が現実に起こったのである。完全主義者のマイケル・チミノ監督が『天国の門』に膨大な金と時間を注ぎこむのを阻止することのできなかった名門ユナイト(ユナイティッド・アーチスト)は、その製作費を回収するのに失敗し、経営不振に陥って、MGMに買収されてしまったのである。本書は最高責任者として『天国の門』の製作に携わったユナイト副社長スティーヴン・バックが、マイケル・チミノ監督との息詰まる対決を回顧したドキュメントで、たしかにペキンパーの言う通り、並のガンファイトなどよりもはるかにおもしろい。
ユナイト側の最大の失敗は、『ディア・ハンター』でアカデミー賞を総なめにしたチミノのかましたブラフ(はったり)を見抜けなかったことにある。アカデミー賞を取ったばかりの監督から、お宅でやらないなら、ほかへ話をもっていくよ、と言われて、ひるまない映画会社はないが、少なくともユナイトがチミノの演出の完璧(かんぺき)主義を事前に調査していれば、監督のはじき出した予算では、製作が不可能だということを見抜けたはずである。実際、ユナイトの内部にも、それを早くから予想していたプロもいた。だが、『ディア・ハンター』の成功で、幹部はリスクよりもリターンに目が眩(くら)み結局OKを出してしまう。
失敗の第二は、製作責任者の著者が、経営プロではなく、映像の美しさを愛する映画人だったことにある。いっこうに進展しない撮影現場を偵察にいった著者は、チミノからラッシュ・フィルムを見せられて「デヴィッド・リーンの撮った西部劇だ」と感激し、撮影の短縮を強要することもできずに帰ってくる。監督の更迭も考えるが、すでにつぎ込んだ製作費が撤退の大きなネックになる。数倍に膨らんだ製作費に恐れをなしたユナイトは、ようやくチミノに条件を呑のませることに成功するが、ときすでに遅かった。おまけに、できあがった作品は、批評家に「掛け値なしの駄作」と酷評される(評者は傑作だと思う)。悪かったのは、製作費を無視したチミノか、チミノの暴走を止められなかったユナイトか。
監督と映画会社のガンファイトは画面にはあらわれない。というよりも、絶対にみせてはいけないものである。だが、映画は芸術である前に産業であるという宿命を免れない以上、この決闘は映画の本質そのものを規定することになる。すなわち、このガンファイト、芸術が勝つことも産業が勝つことも許されない果てしなき決闘でありながら、いいかげんな戦いかたでは、ろくな映画は生まれてこないという絶対的な矛盾を含むものなのである。
「芸術的良心」と「金」という永遠の問題に、「金」の側から光を当てた貴重な証言であると同時に、映画という巨大な賭事(かけごと)の魅力を存分に伝えるドキュメントである。(浅尾敦則訳)
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