書評

『ねじ式』(小学館)

  • 2018/04/22
ねじ式 / つげ 義春
ねじ式
  • 著者:つげ 義春
  • 出版社:小学館
  • 装丁:文庫(296ページ)
  • 発売日:1994-12-14
  • ISBN:4091920217
内容紹介:
▼第1話/ねじ式▼第2話/沼▼第3話/チーコ▼第4話/初茸がり▼第5話/山椒魚▼第6話/峠の犬▼第7話/噂の武士▼第8話/オンドル小屋▼第9話/ゲンセンカン主人▼第10話/長八の宿▼第11話/大場電気鍍金工業所▼第12話/ヨシボーの犯罪▼第13話/少年▼第14話/ある無名作家●あらすじ/1間の狭苦しいアパートに住む夫婦。売れな… もっと読む
▼第1話/ねじ式▼第2話/沼▼第3話/チーコ▼第4話/初茸がり▼第5話/山椒魚▼第6話/峠の犬▼第7話/噂の武士▼第8話/オンドル小屋▼第9話/ゲンセンカン主人▼第10話/長八の宿▼第11話/大場電気鍍金工業所▼第12話/ヨシボーの犯罪▼第13話/少年▼第14話/ある無名作家●あらすじ/1間の狭苦しいアパートに住む夫婦。売れない漫画家の夫を、ホステスをする妻が養っている。その妻がある日、夫に向かって「文鳥が飼いたい」と言い出した。夫は渋るが、お金まで用意していた妻に押され、彼らは連れだって文鳥を買いに行く。いつしか「チーコ」と名付けられたその文鳥は、しだいに夫にも可愛がられるようになっていた。そんなある日、夫は遊んでいる最中に、誤ってチーコを床にたたき付け、死なせてしまう(第3話)。▼温泉にやってきた武士・平田は、泊まった宿で相部屋を言い渡される。部屋に入ってきた男は異相の持ち主であり、かつ何気ない動作にもすきがなく、平田の目にはいっぱしの武芸者と映った。その後も平田は彼の振る舞いを観察し続け、確信をもって「彼は宮本武蔵である」と宿の主人に告げる。主人がそのことを触れ回った結果、宿にはたちまち近所から客が押し寄せ、超満員となったのだが…(第7話)。▼漫画家をしている安井のもとに、かつてアシスタントをしていたときの同僚・奥田が訪ねてきた。彼はアシスタントの仕事では自己表現ができないと考え、安井と入れ違いのように辞めてしまっていたのだ。しかしその後もつきあいは細々と続き、その間に奥田はバーテンを経由して、挙句にトルコ嬢のひもに成り下がっていた(第14話)。●その他DATA/解説・佐野史郎
「ガロ」という雑誌に、つげ義春の"ねじ式"が発表された時、ちょっとした漣(さざなみ)が広がったのを私は覚えている。

「漫画もとうとう芸術表現の様式のひとつになった」

「ああいうのは漫画の邪道だ。漫画は分かりやすく面白くなければならない」

大別するとその二つの意見が漣には含まれていたのである。グラフィックデザイナー、アートディレクター、コピーライターといった、主に片仮名の分野で働いていて、何となく自分たちはアーティストとして扱われていないと感じていた人たちがほぼ前者に属し、文学者、評論家、作曲家といった、漢字で表現される分野の人々は主に後者、つまり「ねじ式」に否定的だったように記憶している。一九六八年の頃(ころ)のことである。

この作品は、つげ義春がラーメン屋の屋根の上で見た夢に基づいて描かれた。

「だから、およそ芸術らしくない」と本人は主張していたが。

新しい芸術は常に「これは芸術か否か」という論争を惹起(じゃっき)しながら登場するのだから、この現象は検討してみる必要のある事柄であった。

この作品には、小学生とか少女とか、あるいは〇〇主義、〇〇教、というような〝御主人様〟がいない。このことを作者は「動機というものもいい加減なもので―」と述べている。

先日他界した武満徹の作品を「音楽以前」と一行で片付けた有名な「進歩的」「近代的」評論家がいたことは、人口に膾炙(かいしゃ)している逸話だが、政治や社会的事象に対して"保守的"か"革新的"かを問わず、権威を持った宗匠はなぜか芸術の新しい動きに対しては冷たく抑圧的に動くのである。

そのような漣の中に置かれたこの作品は、いくつかの見逃せない特徴を、構成と画面と言葉に持っている。

物語は、メメクラゲに噛(か)まれた少年が、出血多量で死の恐怖にさらされるところからはじまる。探せども探せども医者は見付からず、ようやく婦人科医のところに辿(たど)りつく。夢の中で少年は彼女と交わる。それはシリツ(手術)という言葉で表現されている。

婦人科医が登場する場面では、海上に軍艦が浮かび、砲撃戦が展開されている光景が額縁の中でのように遠くに描かれている。

最初の、少年が怪我(けが)をする場面でも、上空を飛んでいる飛行機は戦争中の敵機かもしれない不気味さである。

次の段落で、少年が飛び乗った汽車は後へ後へと走って、もとの村に戻ってしまう。風鈴が暗い光線の中に浮かんで、「こういうところをひと目、母にみせたかった」と少年は目をつぶって考える。

もとの村に舞い戻って医者を探す少年に眼科の看板ばかりが見えてくるのも、暗喩(あんゆ)と読めば、深い味が隠されているようだ。

理性の否定と次の段落でのエロスの登場。しかし、その間に、母との訣別(けつべつ)、桃太郎変じて金太郎のエピソードが何げなく挿入される。その上で、エロスは血と暴力の臭(にお)いを伴って描かれる。

このように作品を見、かつ読んでくると、漫画は権威者の論評とは関係なく、その頃から多様な個性の時代に入ったということができよう。そこには文明批評あり、ノマド志向あり、劇的なSF空間の展開があり、そして「私小説」もある。

こうした百花斉放の状況は、文学分野の低迷と著しい対照を見せていると言ってもいいのではないか。原因はいろいろ考えられるけれども、漫画に較(くら)べて過激な精神と劇的構成を文学が失っているからではないだろうか。

「ねじ式」はいろいろな意味で新しい時代が到来したことを示していた。

【この書評が収録されている書籍】
辻井喬書評集 かたわらには、いつも本 / 辻井喬
辻井喬書評集 かたわらには、いつも本
  • 著者:辻井喬
  • 出版社:勉誠出版
  • 装丁:単行本(256ページ)
  • 発売日:2009-07-21
  • ISBN:4585055010
内容紹介:
作家・辻井喬の読んだ国内外あらゆるジャンルの書籍を紹介する充実のブックガイド。練達の読み手がさそう至福の読書案内。

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ねじ式 / つげ 義春
ねじ式
  • 著者:つげ 義春
  • 出版社:小学館
  • 装丁:文庫(296ページ)
  • 発売日:1994-12-14
  • ISBN:4091920217
内容紹介:
▼第1話/ねじ式▼第2話/沼▼第3話/チーコ▼第4話/初茸がり▼第5話/山椒魚▼第6話/峠の犬▼第7話/噂の武士▼第8話/オンドル小屋▼第9話/ゲンセンカン主人▼第10話/長八の宿▼第11話/大場電気鍍金工業所▼第12話/ヨシボーの犯罪▼第13話/少年▼第14話/ある無名作家●あらすじ/1間の狭苦しいアパートに住む夫婦。売れな… もっと読む
▼第1話/ねじ式▼第2話/沼▼第3話/チーコ▼第4話/初茸がり▼第5話/山椒魚▼第6話/峠の犬▼第7話/噂の武士▼第8話/オンドル小屋▼第9話/ゲンセンカン主人▼第10話/長八の宿▼第11話/大場電気鍍金工業所▼第12話/ヨシボーの犯罪▼第13話/少年▼第14話/ある無名作家●あらすじ/1間の狭苦しいアパートに住む夫婦。売れない漫画家の夫を、ホステスをする妻が養っている。その妻がある日、夫に向かって「文鳥が飼いたい」と言い出した。夫は渋るが、お金まで用意していた妻に押され、彼らは連れだって文鳥を買いに行く。いつしか「チーコ」と名付けられたその文鳥は、しだいに夫にも可愛がられるようになっていた。そんなある日、夫は遊んでいる最中に、誤ってチーコを床にたたき付け、死なせてしまう(第3話)。▼温泉にやってきた武士・平田は、泊まった宿で相部屋を言い渡される。部屋に入ってきた男は異相の持ち主であり、かつ何気ない動作にもすきがなく、平田の目にはいっぱしの武芸者と映った。その後も平田は彼の振る舞いを観察し続け、確信をもって「彼は宮本武蔵である」と宿の主人に告げる。主人がそのことを触れ回った結果、宿にはたちまち近所から客が押し寄せ、超満員となったのだが…(第7話)。▼漫画家をしている安井のもとに、かつてアシスタントをしていたときの同僚・奥田が訪ねてきた。彼はアシスタントの仕事では自己表現ができないと考え、安井と入れ違いのように辞めてしまっていたのだ。しかしその後もつきあいは細々と続き、その間に奥田はバーテンを経由して、挙句にトルコ嬢のひもに成り下がっていた(第14話)。●その他DATA/解説・佐野史郎

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初出メディア

朝日新聞

朝日新聞 1996年4月13日

朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。

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