書評

『王を殺した豚 王が愛した象―歴史に名高い動物たち』(筑摩書房)

  • 2018/05/07
王を殺した豚 王が愛した象―歴史に名高い動物たち / ミシェル パストゥロー
王を殺した豚 王が愛した象―歴史に名高い動物たち
  • 著者:ミシェル パストゥロー
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:単行本(279ページ)
  • ISBN:4480857745
内容紹介:
エデンの園の蛇から、トロイアの木馬、ハンニバルの象、デューラーの犀、ミッキーとドナルド、クローン羊ドリーまで-フランスの紋章学の鬼才が描き出す、人間の歴史と文化を彩った有名な動物たちのドラマ。尽きせぬ味わいを秘めた歴史絵巻。

西欧のライオンが横を向く理由

日本人が植物的であるのに、西欧人は動物的である。たとえば、日本の家紋の多くが植物(天皇家の菊、徳川家の葵)をあしらっているのに、西欧の紋章はたいていが動物を描いている。それゆえ、紋章や伝説の中の動物を研究すれば西欧人の象徴体系を解読することができるのではないか? こんなことを漠然と考えていたら、「歴史に名高い動物たち」を集めてその象徴性を考察した本書があらわれた。著者は縞模様や色彩、紋章などに関する興味深い研究を連発している気鋭の歴史家。序文で「動物は動物学の世界に属すのと同じくらい象徴の世界に属している」と宣言しているのだから、これは期待できそうだ。

対象は「原罪の蛇」から「クローン羊ドリー」までと幅広いが、専門が中世の紋章学だというだけあって、紋章に現れた動物の象徴解釈の章が面白い。

十二世紀以前、紋章や伝説に登場する動物は圧倒的に熊が多かった。ケルトとゲルマンの伝説においては熊は動物の王として不動の地位を保っていた。

ところが、熊の優位は十二世紀以後、揺らぎ始める。ライオンという強力なライバルが登場したためである。とりわけ紋章においてはライオンの優位は決定的になる。

なぜなのか? キリスト教の解釈学でライオンの評価が逆転したからだ。ライオンをサタンの化身としていたアウグスティヌス的な解釈が後景に退き、東方の動物誌の影響を受けた著作家がライオンの「勇気、気前の良さ、高貴さ」を強調すると同時に、「狩人の目をくらませるために自分の足跡を尻尾で消し去るライオンとは、マリアの胎内に宿って神性を隠したイエスである」といった解釈を施すようになったのである。

しかし、そうなると困った問題が生じる。アウグスティヌスの説く「悪いライオン」をどう処理するかという問題である。教父たちは知恵を絞り、「悪いライオン」はライオンでなく豹であるという解釈を打ち出した。しかし、ライオンの特徴はわかっていても(意外なことに中世でも国王の動物園にはライオンがいた)、豹は知らない。そこで、紋章官は体が直立で顔が横向きがライオン、体が水平で顔は正面向きは豹とした。

この文法の確立でおおいに困惑したのがイングランド王家である。というのも、リチャード獅子心王の十字軍遠征以来、体は水平で顔は正面向きのライオン、つまり紋章学では豹とされる紋章を使っていたからである。紋章官は、イングランド王家の動物は豹であると認定した。しかし、それでも、三、四世代の間はイングランドの内外を問わず、この豹という呼称に不快を感ずる者はいなかった。

ところが英仏戦争が起こると、フランスの紋章官たちはイングランド王家の豹に対してさかんに攻撃を行うようになる。イングランド国王はたじろいだ。評判の悪い豹を使い続けることもできないが、紋章を変更すればフランスの紋章官に屈したことになる。そこで、窮余の一策として考え出されたのが、紋章のデザインは変えずに、豹をライオンと言いくるめることである。「イングランドの豹ははっきりとライオンに戻った。顔を正面に向け、体を水平にしているライオンに」

面白いのは、今日でも、イングランド王家の紋章の動物をライオンとしているのはイギリスの紋章学者だけで、大陸の学者たちは豹と呼び続けていることだ。こと紋章に関するかぎり、英仏百年戦争はまだ続いているのである。
(松村恵理、松村剛訳)

【この書評が収録されている書籍】
鹿島茂の書評大全 洋物篇 / 鹿島 茂
鹿島茂の書評大全 洋物篇
  • 著者:鹿島 茂
  • 出版社:毎日新聞社
  • 装丁:単行本(313ページ)
  • 発売日:2007-09-01
  • ISBN:4620318280
内容紹介:
100の書評でめくるめく世界の旅へ誘う愛書狂による最強のブックガイド。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

王を殺した豚 王が愛した象―歴史に名高い動物たち / ミシェル パストゥロー
王を殺した豚 王が愛した象―歴史に名高い動物たち
  • 著者:ミシェル パストゥロー
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:単行本(279ページ)
  • ISBN:4480857745
内容紹介:
エデンの園の蛇から、トロイアの木馬、ハンニバルの象、デューラーの犀、ミッキーとドナルド、クローン羊ドリーまで-フランスの紋章学の鬼才が描き出す、人間の歴史と文化を彩った有名な動物たちのドラマ。尽きせぬ味わいを秘めた歴史絵巻。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2003年5月11日

毎日新聞のニュース・情報サイト。事件や話題、経済や政治のニュース、スポーツや芸能、映画などのエンターテインメントの最新ニュースを掲載しています。

関連記事
鹿島 茂の書評/解説/選評
ページトップへ