書評

『ケストナーの「ほらふき男爵」』(筑摩書房)

  • 2018/05/08
ケストナーの「ほらふき男爵」 / エーリヒ ケストナー
ケストナーの「ほらふき男爵」
  • 著者:エーリヒ ケストナー
  • 翻訳:池内 紀,泉 千穂子
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:単行本(310ページ)
  • ISBN-10:4480831347
  • ISBN-13:978-4480831347
内容紹介:
1933年、ケストナーの本はナチスに焼き捨てられた。執筆を禁じられるなか、彼は子どものために広く知られたお話を語り直す仕事を続けた。「ほらふき男爵」「長靴をはいた猫」「ガリバー旅行記… もっと読む
1933年、ケストナーの本はナチスに焼き捨てられた。執筆を禁じられるなか、彼は子どものために広く知られたお話を語り直す仕事を続けた。「ほらふき男爵」「長靴をはいた猫」「ガリバー旅行記」…。リズムがちがう。光の当て方が微妙にちがう。これ見よがしの新解釈を持ち込んだりはしないのに、すべてが新しい。おなじみの物語の裏で、ケストナーの諷刺とユーモアがきらめく。挿画多数。

ケストナーの贈物

エーリヒ・ケストナー。名前を聞くだけで胸が踊る。

『ふたりのロッテ』『エーミールと探偵たち』そしてあの『飛ぶ教室』。戦後生まれの子どもなら、どこの学校図書館でも出会えた本。何度も繰り返し読んだ夢の玉手箱。

彼の子どものための本十九冊のうち、再話の仕事が六冊ある、とはじめて知った。それがすべて訳されて、多数の天然色挿絵入りで大判の本にまとまった。『ケストナーの「ほらふき男爵」』(池内紀、泉千穂子訳、筑摩書房)。画家の名はW・トリヤーとH・レムケ。年輩のトリヤーの絵は柔らかくほのぼのした抒情があり、三十歳年下のレムケの絵はシャープで諧謔(かいぎゃく)味がある。だけれどトリヤー風のレムケの絵もあってどっちがどっちだか、そこがお楽しみ。

さわりをご紹介しよう。

「目が覚めると、キラキラ太陽が輝いている。辺りを見廻し、あらためて目をこすった。おどろいたね、村にいる。しかも教会の墓地ときた! 誰だって墓石のあいだで目覚めたくないではないか。それに馬がいない。昨夜、すぐ近くに手綱を結びつけたはずだ」

結わえたのはじつは教会の風見鶏、一夜あければ雪が溶けて、馬は空高くいななく、ご存じ『ほらふき男爵』の一節。

三人の子どもに読んでやった。少し大時代がかった声を出すと大喜び、訳文の口調がよく勢いがあるので、親の方も退屈しない。読者のみなさんも、ちょっと声出して読んでみて。ほらふき男爵が、トルコ戦争のとき、敵陣視察を命ぜられたくだり。

「やにわに大砲が火を吹いた。このチャンスを逃してなるものか。即座に心を決めて砲弾にとび乗った。弾もろとも敵陣へ乗り込もう! だが風をきって飛んでいくなかで考えた。とびこむのは簡単だが、どうやってもどってくる。軍服によって、すぐさまこの身をさとられる。とすると、向こうに待っているのはしばり首!/思い直した。このときトルコ側が大砲をぶっぱなしたので、砲弾がとんでくる。かたわらをかすめた瞬間、ヒョイと跳び移った。はからずも、とはいえ五体にかすり傷一つなく、わが陣営に舞いもどった」

なぜケストナーは再話を買って出たのか。訳者は「本文をお読みになればすぐにわかる。語りのリズムとテンポがちがう。筋の運びと速さがちがう。人物の描き方、光の当て方が微妙にちがう」という。そう思う。

たとえば『ドン・キホーテ』。サンチョ・パンサは主人の耳に包帯を巻きながらやさしくささやく。

「騎士道ってのは大変だね。旦那さま。もうちっと戦さをへらさないかね。王国なんていらない。おいらには中くらいの伯爵領で十分だ」

語り口にケストナーの世界観が顔を出す。彼の本はブレヒト、トーマス・マン、レマルクらの本と共に、ナチス・ドイツによって発禁となり、焚書(ふんしょ)にされた。

ほかの作品も駄洒落の合間に権力をおちょくり、空いばり、鈍重さを笑いとばし、思いやりのなさや凡人の悲しみ、つまり人間の本性をくっきりさせている。練達・清新の二人の訳者の功も大きい。一人の訳者はこう書いている。

名うての古典的名作でも、そのままにしておくとカビがはえる。古くさい味がする。名作の名のもとに古くさい味を押しつけるのは、子どもの本の著者の怠慢というものではあるまいか。何はともあれ、子どもはとりわけ舌が敏感な生きものなのだ。


【この書評が収録されている書籍】
読書休日 / 森 まゆみ
読書休日
  • 著者:森 まゆみ
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(285ページ)
  • 発売日:1994-02-01
  • ISBN-10:4794961596
  • ISBN-13:978-4794961594
内容紹介:
電話帳でも古新聞でも、活字ならなんでもいい。読む、書く、雑誌をつくる、と活字を愛してやまない森さんが、本をめぐる豊かな世界を語った。幼い日に心を揺さぶられた『フランダースの犬』、… もっと読む
電話帳でも古新聞でも、活字ならなんでもいい。読む、書く、雑誌をつくる、と活字を愛してやまない森さんが、本をめぐる豊かな世界を語った。幼い日に心を揺さぶられた『フランダースの犬』、『ゲーテ恋愛詩集』、そして幸田文『台所のおと』まで。地域・メディア・文学・子ども・ライフスタイル―多彩なジャンルの愛読書の中から、とりわけすぐれた百冊余をおすすめする。胸おどる読書案内。

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ケストナーの「ほらふき男爵」 / エーリヒ ケストナー
ケストナーの「ほらふき男爵」
  • 著者:エーリヒ ケストナー
  • 翻訳:池内 紀,泉 千穂子
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:単行本(310ページ)
  • ISBN-10:4480831347
  • ISBN-13:978-4480831347
内容紹介:
1933年、ケストナーの本はナチスに焼き捨てられた。執筆を禁じられるなか、彼は子どものために広く知られたお話を語り直す仕事を続けた。「ほらふき男爵」「長靴をはいた猫」「ガリバー旅行記… もっと読む
1933年、ケストナーの本はナチスに焼き捨てられた。執筆を禁じられるなか、彼は子どものために広く知られたお話を語り直す仕事を続けた。「ほらふき男爵」「長靴をはいた猫」「ガリバー旅行記」…。リズムがちがう。光の当て方が微妙にちがう。これ見よがしの新解釈を持ち込んだりはしないのに、すべてが新しい。おなじみの物語の裏で、ケストナーの諷刺とユーモアがきらめく。挿画多数。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 1990年6月~19993年3月

毎日新聞のニュース・情報サイト。事件や話題、経済や政治のニュース、スポーツや芸能、映画などのエンターテインメントの最新ニュースを掲載しています。

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