書評

『ル・クレジオ、映画を語る』(河出書房新社)

  • 2018/05/13
ル・クレジオ、映画を語る / ル・クレジオ
ル・クレジオ、映画を語る
  • 著者:ル・クレジオ
  • 翻訳:中地 義和
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(252ページ)
  • 発売日:2012-06-12
  • ISBN-10:4309205968
  • ISBN-13:978-4309205960
内容紹介:
リュミエール兄弟、溝口健二、パゾリーニから、マフマルバフ、イチャンドンまで。ノーベル賞作家が、映画芸術への愛を熱く語る半自伝的エッセイ。

幼年期からの真情あふれる述懐

映画とは結局のところ、しばし憂(う)き世を忘れるための娯楽にすぎない。そう考える人は少なくないだろう。それに対して本書は正面から異議を唱える。著者自身の人生経験にもとづいてである。

家にあった映写機の映像に目を見張った幼いころから、数々の傑作に親しんだ青春時代を経て現在に至るまで。映画がどれほど自己を支え、刺激し、成長させてくれたかが語られる。その述懐にはパッションがほとばしるかのようで、読んでいてこちらも熱くなってくる。

別格的な地位を与えられているのが日本映画。とりわけ、溝口健二である。十代の著者に「映画が芸術であること」を教えたのは、古いプリントで見た『雨月物語』だった。いまなお「魅惑に取り憑(つ)かれ」ながら、映像美に耽溺(たんでき)するといった姿勢とは一線を画す。「戦(いくさ)」と「暴力」の吹きすさぶ現代の表現そのものとして溝口を、さらには映画全般をとらえるのだ。

それは「あらゆる国境を廃棄する」ものとして映画を見る姿勢につながる。論じられるフィルムは、ハリウッドやヨーロッパの名画から、一転してイランやインド、韓国の作品にまで及ぶ。画面とは著者にとってまさしく「世界に開かれた扉」なのである。

それにしても、ノーベル賞作家がなぜここまで映画に惚れ込み、夢中になって語るのか。スクリーンという「鏡」は、他者への共感を促すとともに観客自身をも映し出す。「自分が何者なのか」を教えてくれる点にも映画の「呪術」としての魅惑がある。つまり作家は、映画をとおして自らの立脚する足場を見直す。そして比較的、制約にしばられない文学の「自由」を再認識する。

しかもそのことは、映画への愛を少しも陰らせはしない。「映画散策、それは/稲妻の/ただなかを/雲から/雲へと/落下すること」。冒頭から、本書には詩のような響きの高さがある。映画との関係をたどり直すことで、作家は自らの文学のみずみずしい水源に立ち戻るのだ。

かつて映画が、いかに啓示に富むものだったかを伝えるとともに、まだ見ぬ明日の作品への憧れをもかき立ててくれる。美しく、真情あふれるシネマ讃歌(さんか)である。
ル・クレジオ、映画を語る / ル・クレジオ
ル・クレジオ、映画を語る
  • 著者:ル・クレジオ
  • 翻訳:中地 義和
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(252ページ)
  • 発売日:2012-06-12
  • ISBN-10:4309205968
  • ISBN-13:978-4309205960
内容紹介:
リュミエール兄弟、溝口健二、パゾリーニから、マフマルバフ、イチャンドンまで。ノーベル賞作家が、映画芸術への愛を熱く語る半自伝的エッセイ。

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初出メディア

日本経済新聞

日本経済新聞 2012年7月15日

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