前書き

『100分de名著 カミュ『ペスト』 2018年6月』(NHK出版)

  • 2018/06/04
カミュ『ペスト』 2018年6月 / 中条省平
カミュ『ペスト』 2018年6月
  • 著者:中条省平
  • 出版社:NHK出版
  • 装丁:ムック(116ページ)
  • 発売日:2018-05-25
  • ISBN-10:4142230875
  • ISBN-13:978-4142230877
内容紹介:
理由のない厄災に、いかに向き合うか

地中海に面した仏領アルジェリアの都市・オラン。おびただしい数の鼠の死骸が発見され、人々は熱病に冒され始める。ペストという「不条理な厄災」に見舞われた街で、人々はいかに生きてゆくのか──。ノーベル賞作家アルベール・カミュ(1913~60)の傑作小説『ペスト』を、現代的視点で読み解く。

はじめに――海と太陽、不条理と反抗の文学

『ペスト』(一九四七)の作者アルベール・カミュ(一九一三~六〇)の文学には、どんなに不条理で悲惨な状況を描いても、海と太陽が救いになるような、「向日性(こうじつせい)」の魅力があります。そうした感覚は、カミュが当時フランスの植民地だったアルジェリアの、地中海沿岸の町で生まれ育った事実と切り離すことはできないでしょう。

カミュの作品はしばしば「実存主義」の名で呼ばれ、文学・思想史的に、実存主義の指導者サルトルとひと括りにされてしまうことがあります。しかし、カミュの小説とサルトルの小説は、感覚的印象がまったく異なっています。たとえばサルトルの長篇小説『嘔吐(おうと)』(一九三八)で、主人公ロカンタンは、灰色の曇り空の下、寒々しい港町でひたすら図書館に通い、物を書いたり調べたり思索したりするような日々を送っており、小説全体が閉鎖的・内向的な印象をもたらします。また、サルトルの短編小説の代表作『水いらず』(同)では、主人公の女と男が閉ざされた空間のなかで肉体を接して向かいあい、出口のない関係を生きています。しかし、カミュは、そうした閉鎖的・内向的な生き方を描くようなタイプの作家ではありません。

カミュの場合、たしかに人間は複雑な状況に直面して苦悩することもあるし、痛みを感じることもありますが、海や太陽といった無条件のエネルギーの巨大な源泉のようなものに出会ったときに、そこへ“自分を開いていく”ような感性があるのです。そうした未知のものに自分を開いていく感性の柔軟さや開放性が、カミュの小説がサルトルのそれよりも普遍的な広がりや包容力をもつと感じられる所以(ゆえん)ではないでしょうか。

実存主義という、人間の悲惨な条件を直視する哲学的傾向のなかにあっても、カミュの場合は、どこかにそうした世界の未知なる多様性がもたらす救いのようなものがあることを、まず押さえておいたほうがいいかもしれません。そこには、われわれ日本人の自然観にも通じあうものがあるのではないかと思うのです。

ただし、一口に自然のもたらす救いの感覚といっても、海と太陽とでは、カミュにとって若干ニュアンスが異なります。小説『異邦人』(一九四二)で、主人公ムルソーが不条理な殺人の動機を「太陽のせいだ」という有名な場面がありますが、太陽は、明るい光をもたらすと同時に、人殺しにまで至らせてしまうような激しさももっており、ときとして人間の攻撃的な情念を高揚させます。かたや海のほうは、むしろそれを鎮めてくれる場所です。砂漠で灼熱の太陽と向きあえば、人間は渇いて死ぬしかありませんが、海のなかに入れば、生が解放されるような感覚を得ることができます。『異邦人』にも、またこの『ペスト』にも、印象的な海水浴の場面が出てきて、われわれ読者に救いの感覚をもたらします。

こうしたカミュのいわば「地中海性」は、哲学的にはキリスト教以前のギリシャ哲学に遡(さかのぼ)ることができますし、カミュという作家の知性と身体の両面における重要な要素です。古代ギリシャ人の、自然と調和した汎神論的な世界観への共感と憧れは、地中海人カミュの精神と肉体の根底に息づくもののような気がします。

私がカミュの小説と出会ったのは中学一年生のときで、代表作『異邦人』を読み、強い衝撃を受けました。世界は不条理なのだという認識とともに、ちょうど純粋な反抗心にあふれた年頃でしたから、ムルソーの世間への反抗にはかっこよさを感じました。ただし、あの有名な「きょう、ママンが死んだ」(窪田啓作訳)という書き出しには面食らって、「ママン」とはいったい誰なんだろうと一瞬考えこんだものです。「ママン」とはごく普通にフランス人が自分の母親に呼びかける呼称で、日本語で「ママン」と書いたときに感じる甘ったれたおしゃれな語感はありません。中村光夫の訳語では「ママ」ですし、普通に「お母さん」とか「かあさん」などと訳してもよいと思うのですが、それぞれでニュアンスが大きく変わってきます。つくづく翻訳とは難しいものです。

さて、『異邦人』に続いて、高校生のころに『ペスト』を読んで感動し、澁澤龍彦の本で知った革命家サン=ジュストのことが書かれた哲学エッセー『反抗的人間』(一九五一)の文章にもしびれました。同時に『存在と無』(一九四三)などサルトルの哲学にも惹(ひ)かれた私は、カミュとサルトルに代表される実存主義の思想に傾倒しました。

実存主義が一世を風靡(ふうび)してから半世紀以上が経ち、いまではその衝撃力は伝わりにくいかもしれませんが、「実存は本質に先立つ」(サルトル)という思想的転換は、神や魂といった本質を人間に先行させるキリスト教的な世界観と、デカルト的な近代哲学の理性中心主義的な世界観の両方を否定する、哲学史上における途方もない革命だったのです。

ちなみにカミュとサルトルはやがて思想的に対立し、論争の末に絶交してしまいます。当時は文学的なカミュよりも、政治的なサルトルのほうに分があるように見えました。しかしいまになってみれば、スターリンの恐怖政治へと至るマルクス主義のイデオロギーや、革命による暴力や殺人を批判するカミュのほうが正しく、きわめて真っ当な感覚を有していたといえます。たとえ歴史の名のもとにおこなわれる革命という大義のためであっても、人殺しは絶対に認めないというカミュは、左派の知識人がマルクスや革命を金科玉条(きんかぎょくじょう)とする時代にあって、どんなに周りから反動だと叩かれ、孤立することになっても、暴力や殺人に「否(ノン)」といいつづけました。そこは人間として本当に信用できるところだと思います。

今回、カミュの『ペスト』を取りあげるにあたって、あらめてこの小説を読み直してみると、遠いアルジェリアの町で起きた疫病の話というだけではなく、やはり震災と原発事故以降の恐怖と不安の記憶、不愉快な閉塞感の持続という現代日本の問題が重なって、その予言的なリアリティが身に迫ってきます。

時代が変わっても、その時代ごとにふさわしい読みを許容する幅の広さが、優れた文学作品の条件だと思います。人間が不幸とどう戦うかというこの物語は、戦争の只中で書かれ、ペストという災厄が戦争という現実と重ねて描かれていますが、それを地震のような天災や、目に見えない放射能の恐怖に置き換えて読むことも可能なのです。また災厄によって招来される社会状況の変化は、いまの政治や社会の気味悪さ、生きにくさとも深く関わるように思われます。

経済偏重の現代社会を襲う災厄のなかで、人間はどのように生きるべきなのか。この作品を通じて、そうした思考や対話のきっかけを提供することができれば、と思います。私たちは世界と人間の不条理にどう反抗し、どう乗り越えていくことができるのか――。それは、いまこそ大切なテーマなのではないでしょうか。

※NHK Eテレ「100分de名著」 カミュ『ペスト』第1回放送
【放送時間】2018年6月4日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】2018年6月6日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ、2018年6月6日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ、※放送時間は変更される場合があります
【講師】中条省平(学習院大学教授)
【朗読】川口覚(俳優)
【語り】小口貴子
カミュ『ペスト』 2018年6月 / 中条省平
カミュ『ペスト』 2018年6月
  • 著者:中条省平
  • 出版社:NHK出版
  • 装丁:ムック(116ページ)
  • 発売日:2018-05-25
  • ISBN-10:4142230875
  • ISBN-13:978-4142230877
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理由のない厄災に、いかに向き合うか

地中海に面した仏領アルジェリアの都市・オラン。おびただしい数の鼠の死骸が発見され、人々は熱病に冒され始める。ペストという「不条理な厄災」に見舞われた街で、人々はいかに生きてゆくのか──。ノーベル賞作家アルベール・カミュ(1913~60)の傑作小説『ペスト』を、現代的視点で読み解く。

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