前書き

『100分de名著 マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』 2019年1月』(NHK出版)

  • 2019/02/06
マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』 2019年1月 / 鴻巣 友季子
マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』 2019年1月
  • 著者:鴻巣 友季子
  • 出版社:NHK出版
  • 装丁:ムック(116ページ)
  • 発売日:2018-12-25
  • ISBN-10:4142230948
  • ISBN-13:978-4142230945
内容紹介:
ヒロインは二人いる──

ヴィヴィアン・リー主演で映画化されて人気を博し、全世界で今も読み継がれる名作『風と共に去りぬ』。運命に翻弄されながらも力強く生きるスカーレット・オハラ以外に、もう一人ヒロインが存在する──。画期的な新訳を手掛けた翻訳者が、作家マーガレット・ミッチェルの野心的な試みに迫る!

はじめに――原作の知られざる世界を味わう

『風と共に去りぬ』はアメリカの作家マーガレット・ミッチェルのデビュー作にして、唯一の大長編小説です。刊行した最初の年だけで、アメリカで170万部を売り上げ、著者の生前に40か国で翻訳、800万部が売れたと言われる世紀のベストセラーでもあります。ミッチェルは本作で1937年のピューリッツァー賞を受けています。

ミッチェルは子どもの頃からプライバシーに大変こだわる人で、「今日、何をしたの?」「今、何をしているの?」などと聞かれるのが大嫌いだったそうです。1926年ごろ、彼女は、どこに発表するあてもないままこの物語を書き始めます。骨折の療養中のことでした。彼女の秘密主義は、小説を書き始めると極限まで強まっていったようで、ミッチェルが何かを書いていることに気づいた相手に対してさえ、一行たりとも原稿を見せたことがなかったといいます。

のちに『風と共に去りぬ』を出版するマクミラン社アトランタ支社の編集者ロイス・コールら、ミッチェルの親しい友人たちは、この謎の作品をからかい半分に「ザ・グレート・アメリカン・ノベル(あの偉大なアメリカ小説)」と呼んでいました。あるとき、訪ねていったコールが「ザ・グレート・アメリカン・ノベルの調子はどう?」と訊くと、ミッチェルは苦笑いをしながら、「ひどいもんよ。なんでわざわざこんなことしてるんだろう、わたし」と答えたそうです。この原稿が『風と共に去りぬ』に結実し、実際に「ザ・グレート・アメリカン・ノベル」となっていくのです。

作品の舞台となるのは、19世紀中頃のアメリカ南部。スカーレット・オハラは、ジョージア州内陸部にある綿花プランテーションの長女としてなに不自由なく育った、天衣無縫のヒロインです。その少女が、南北戦争勃発の直前から、戦中、戦後の「再建時代(リコンストラクション)」およびその後にかけての12年ほどの時間をたくましく生き抜く姿を描いています。スカーレットが片思いを続ける好青年アシュリ・ウィルクス、その妻となる恋敵メラニー・ハミルトン、スカーレットの真の姿を愛し、支え続ける怪紳士レット・バトラーとの、恋愛、結婚、憎しみ、友情、別れなどが多層的に絡み合う大作です。
『風と共に去りぬ』と言えば、ヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブルが主演したハリウッド映画が大ヒットし、その印象があまりにも鮮烈だという方が多いのではないでしょうか。原作と映画、どちらも傑作だとわたしは思っていますが、映画は原作に非常に忠実なところがある反面、実は原作とかけ離れた点も多々あります。ぱっと見てすぐわかる違いは、スカーレット・オハラの容姿です。映画でスカーレットを演じたヴィヴィアン・リーの印象が強烈すぎて、映画を見る前に原作を読んでも、見たあとに読んでも、スカーレットと言えばもうヴィヴィアン・リーしか思い浮かばない方が多いのではないかと思いますが、原作に描かれるスカーレットの容姿は、ヴィヴィアンとはかなり異なっています。もう一つの違いは、〈タラ〉と呼ばれるオハラ家の家屋です。どのように違うのか、このあと見ていくことにしましょう。

また映画の影響が強いためか、『風と共に去りぬ』には白人富裕層のロマンスという固定イメージがあるようです。しかし原作を繙(ひもと)いてみれば、そこにはさまざまな人種、階層、そして個々の文化と矜持(きょうじ)を持つ多彩な人々が集っています(そのうちの重要な何人かの役は映画ではカットされてしまっています)。むしろ、この大作を力強く動かしていくのは当時マイノリティだった人々――黒人であり、移民であり、貧者、社会の異端者、日陰者のような人たち――なのです。ミッチェルが描きだそうとしたのは、たんなる白人のロマンスというよりは、多人種、多階層をバックグラウンドとした多文化混交の物語だったと思います。

さらに、本作は世紀の恋愛小説という捉え方をされてきました。もちろん、スカーレットとアシュリ、スカーレットとレットの波乱万丈の愛情物語は、ストーリー展開の太い軸となっています。しかしながら、今回は、本来控えめな脇役と見られていたメラニーに注目し、一見正反対の性格を持つメラニーとスカーレットのダブルヒロインという形でこの物語を捉え直してみたいと思います。この二人の女性の多面的で複雑な友情関係こそが、本作の要だとわたしは考えるからです。

というわけで、今回は、映画をはじめとする数々の既成イメージにとらわれず、原作とじっくり向き合い、皆さんと一緒にこの小説の魅力を堪能したいと考えています。旧来のイメージや解釈を次々と覆すことになるかもしれませんが、原作のスカーレットも〈タラ〉ももちろん魅力的ですのでご安心ください。

わたしは2015年に『風と共に去りぬ』の新訳を刊行しました。一般的に翻訳とは、外国語を日本語に移して「書く」作業のことだと思われているようです。しかし実は、翻訳では原文を的確に「読む」という部分が作業の九割くらいを占めると私は考えています。読んだ上で、自分の言葉で再創造する。ここが一般の読者と異なる点で、翻訳者は原作者の「言葉の当事者」にならなくてはなりません。そのため、わたしは常々、翻訳を「体を張った読書」であると表現しています。
『風と共に去りぬ』という作品に言葉の当事者として関わっていくなかで、初めて気づいたことがいくつかあります。一つは、この作品が持つ高度な文体戦略です。これについても、このテキストで解説していきます。本作について、その歴史的背景や社会的意義を掘り下げた研究書は数多くあるのですが、ミッチェルのテクストそのもの――彼女が織り上げた巧緻(こうち)な文章――を分析する評論は圧倒的に少ない。つまり、「何が書かれているか」は存分に説かれてきたものの、「どのように描かれているか」はあまり論じられてこなかったのではないでしょうか。

わたしにとって、『風と共に去りぬ』を新訳するということは、自分が持っていた数々の偏見や思い込みを払拭(ふっしょく)し、この古典名作にまったく新たな世界観を持つことにほかなりませんでした。それは衝撃的な読書体験でした。このテキストを読んでくださる方々にとっても、従来の作品イメージが心地よく転換され、新たな『風と共に去りぬ』像が誕生することを願っています。
マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』 2019年1月 / 鴻巣 友季子
マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』 2019年1月
  • 著者:鴻巣 友季子
  • 出版社:NHK出版
  • 装丁:ムック(116ページ)
  • 発売日:2018-12-25
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