書評

『カサノヴァ 人類史上最高にモテた男の物語 上』(キノブックス)

  • 2018/06/10
カサノヴァ 人類史上最高にモテた男の物語 上 / 鹿島 茂
カサノヴァ 人類史上最高にモテた男の物語 上
  • 著者:鹿島 茂
  • 出版社:キノブックス
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(364ページ)
  • 発売日:2018-03-30
  • ISBN-10:4908059942
  • ISBN-13:978-4908059940
内容紹介:
稀代のプレイボーイ、カサノヴァの生涯をフランス文学者・鹿島茂氏が『回想録』をもとに詳細に解説。

カサノヴァが日本を救う!

これ、洒落っ気で言っているのではなく、まったくの本気なのである。すなわち、いまの日本の置かれた危機的状況について考え、その脱出策を探ってみると、どうしても、快楽の巨人カサノヴァにご登場いただく以外に道はないという結論に達するのだ。

しかし、いきなり、こうした極端なことを書くと、「カサノヴァって、ようするに、無数の女性を誘惑して歩いた稀代の色事師でしょ。そんな色事師がなんで日本の救いになるの?」とたいていの人は素朴な疑問を抱くに違いない。

これに対して私は次のように答えよう。

しかり、カサノヴァは稀代の色事師である。だが、この色事師は、全身全霊をもってすべての「生身の女」を愛そうとした色事師である。ゆえに、いまの瀕死の日本にとっては、最も劇的に効くカンフル剤となりうるのだと。

こう書いたとたん、「はあっ?」という呆れた声が至るところから聞こえてきそうだが、以下の状況分析と行動提起を読めば、男性ばかりか女性も、私の考えに賛成していただけるはずなのである。

まず、二十一世紀の日本が抱えている最大の問題が少子化であることをしっかり確認しておこう。二〇一〇年の国連の中位統計では日本の人口は一億二六五三万人であるが、二一〇〇年には九一三三万人と一億を割る。対するに、現在、先進国の中で唯一人口が増加に転じているフランスでは二〇一〇年の人口が六二七八万人であるのに、二一〇〇年には八〇二八万人と増加して、二十二世紀には日仏の人口は逆転するのだ。

では、こうした日仏での違いはどこからくるのかといえば、それは、フランスの男がカサノヴァと同じく「生身の女」を愛そうとしているのに対して、日本の男は「ヴァーチャルな女」しか愛し得ないような構造に置かれているからである。

日本の男たちが置かれているこの構造は、資本主義的メディアがすべての男をヴァーチャルなドン・ファンに変えようとつとめていることに起因している。

では、カサノヴァとドン・ファンはどこが違うのか?

伝記作家シュテファン・ツヴァイクによると、ドン・ファンとは、理想の女を求めはするが、結局、愛するのは自分だけで、籠絡した女を片端から捨てていく自己中心的な男だと定義できる。現在の日本の男は、ほぼ、全員、ドン・ファン、ただしヴァーチャルなドン・ファンであると見なすことができる。

なんのことかわからないという男性は、自分のプライベート・ライフを想起していただきたい。すなわち日々、DVDだのインターネットだので、あなたは自分好みの女の子のイメージを求め、そのイメージに最も近い女の子をヴァーチャルに犯しまくって(つまりはオナニーですね)満足してはいないだろうか? DVDやインターネットの中では、あなたは理想の女の子にかしずかれる王子様であり、独裁者なのだが、その王国の中で満たされているのは、じつはあなたの性欲ではなく、自己愛なのだ。自己愛の充足のために、あなたはヴァーチャルな女の子たちを跪(ひざまず)かせ、自由に扱っているにすぎないのである。

資本主義メディアは、男性がこうしたヴァーチャルな自己愛の世界(オタクの世界)に惑溺してくれればくれるほど「儲かる」仕組みをつくりあげたから、理想の女の子を次々に提供してくるのである。その結果、あなたはますます、ヴァーチャルなセックスにのめり込むことになる。

ところで、このヴァーチャルな自己愛の王国は、一歩、現実の世界に足を踏み出したとたん、もろくも瓦解する。現実の街を闊歩している女性は、あなたが何らかの働きかけを行わない限り、いきなり跪いて奉仕してくれることなどあり得ない。女性はヴァーチャルではなくリアルである。男性の自己愛のために存在しているのではないのだ。

かくして、あなたは現実世界で深く傷つき、再び、自己愛の王国に引きこもり、そこで身勝手なドン・ファンとして振る舞うことになる。

このように、ヴァーチャルな自己愛の世界というものは、イメージというドラッグを売買するメディアが管理する依存症の地獄なのだ。そこに止まる限り、展望は開けてこない。このイメージ依存症の地獄からはい出さなければならない。

そのためにはなにが必要か?

ヴァーチャルなドン・ファンであることをやめて、リアルなカサノヴァになることだ。

カサノヴァがドン・ファンと決定的に異なる点は、イメージの中の「理想の女」ではなく、すぐ自分の隣にいる「生身の女」を求めたことである。なぜ、隣の「生身の女」を選んだのか? 一人一人全部違うからだ。姿形が、声が、匂いが、会話が、性格が、すべてのものが別の女と異なっているがゆえに、カサノヴァは隣にいる「生身の女」を愛したのだ。もちろん、カサノヴァにも好みのタイプというものはあった。だが、その好みのタイプというのもじつにヴァリエーション豊かなのである。彼はほとんどあらゆるタイプの女に好奇心を抱き、欲望を感じた。

だから、あなたがヴァーチャルな地獄から抜け出そうとするなら、カサノヴァにならって、まずは隣にいる「生身の女」に気軽に声をかけ、スキンシップを試み、最終的にはセックスまでもっていく努力をしなければならない。つまりカサノヴァの日々心がけていたモットーを実践するのである。

そして、これが肝心なことなのだが、女というものは、常に「女を愛する男を愛する」という大原則がある。女の匂いのしない男というのは好奇心の対象にならないのである。

なぜだろう?

それは、女が、「女を愛する男」、とりわけ「本気で女を愛する男」だけが女を幸せにしてくれるという事実を本能的に知っているからである。

ツヴァイクは、この点に関して、自分しか愛さず女を愛さないドン・フアンと比較して、「女を愛する男」であるカサノヴァをほめたたえて、こう述べている。

ドン・ファン的漁色は……一種のかたきうちのように、……永久に女とたたかいつづける。……女たちは、彼のひややかな技巧に負けてしまうと、ドン・ファンのことを、悪魔そのもののように考える。彼女たちは、昨日の恋に示したあらゆるはげしさで、今度は、このうそつきの宿敵を憎むようになる。(中略)心やさしい恋愛術の大家カサノヴァは……女をなでまわしながら、真の女に目覚めていない女たちのあらゆるおそれや不安を、着物といっしょにはぎとってしまう。こうした女たちは、身体を与えてしまって、はじめて完全な女になるのだ。彼は彼自身が幸福感を抱くことによって、女たちを幸福にする。彼は彼自身が感謝しながら恍惚感を味わうことによって、女たちがいっしょに享楽するのをゆるすのだ。(中略)彼はいう、『わたしにとって、享楽の五分の四は、女を幸福にする点にある』と。ある人にとって、愛するために愛されることが必要なように、彼は、自分の快楽のために、相手の快楽を必要とするのである。(中略)彼が、個々の女性をこえて、女のすべてを愛したように、女たちの方でも、彼個人を超越して、情熱的な男性、愛の名手のすべてを愛するようになったのである。(『三人の自伝作家』吉田正己訳、みすず書房)

そうなのである。ようは、まず、イメージの中の「ヴァーチャルな女」ではなく、そこにいる「生身の女」を本気で愛し、自分の快楽を最大化するためにまず相手の快楽を最大化することを目指さなければならない。それだけが女たちから愛される秘訣なのである。そして、この突破口が開けたときに初めて、男はイメージ依存症の地獄、つまりオタクの隘路(あいろ)から脱出できるのだ。それには、カサノヴァを師と仰ぎ、一から十まで彼に倣わなければならないのである。

というわけで、時代に先駆けるかたちで、われわれは本書においてカサノヴァの復権を目指したいと思っているのだが、それにはなんといってもカサノヴァの『回想録』に当たってみるのがベストである。『回想録』には、九歳で年上のベッチーナに誘惑されて弄ばれた悲惨な体験から始まって、五十歳を目前にしてヴェネチアに帰還する直前の少し惨めな女性体験まで、驚くほどの女性遍歴が非常に具体的に語られているからである。しかも、そこから割り出された「法則」は、いまでも十分に有効なほど普遍的なものなのだ。

よって、読者には『回想録』を直接繙(ひもと)いていただきたいのだが、なにせ、『回想録』はあまりに膨大すぎる。文庫版の翻訳で全十二巻であるから、これを現代の忙しい読者が読み通すのは至難の技である。

そこで、以前にユゴーの大長編『レ・ミゼラブル』から拙著『「レ・ミゼラブル」百六景』をつくったのにならって、カサノヴァ『回想録』の時代背景の解説を含めた批評的ダイジェストを試みることにした。とりあえずは全十二巻をその六分の一程度に圧縮することを目指したが、しかし、機械的に圧縮するのでは意味がないので、カサノヴァが語っている女性体験を拾い出すことを第一原則とした。はっきり言えば、カサノヴァのエロティックな体験の一大絵巻をつくろうというのが本書の目的の一つなのである。

しかし、『オール・アバウト・セックス』や『オン・セックス』の著者としてはそれで十分かもしれないが、十七世紀から二十世紀のヨーロッパ歴史全域に興味を持つ歴史探偵としてはそれだけでは物足りない。

というのも『回想録』は、どんなドキュメントにも増して豊かな歴史的証言の宝庫だからである。この『回想録』にしか見いだし得ない証言があまりにも多いのだ。

というわけで、「時代の証言者」カサノヴァという面にも十分に目を配ることにした。つまり、ヨーロッパ中を旅して歩いたアヴァンチュリエ(山師)だからこそ可能になった同時代風俗の観察と有名人との遭遇体験をできるかぎり拾い出そうと試みたのである。

さて、序文につきものの大風呂敷はこれぐらいにして、そろそろ、人類史上最高にモテた男の一代記を繙いていくことにしよう。

カサノヴァが、エロスの巨人であると同時に、十八世紀的な「総合的」な大知識人でもあることを証明し、世界にも類のない「業績」を現代に奪還するために。
カサノヴァ 人類史上最高にモテた男の物語 上 / 鹿島 茂
カサノヴァ 人類史上最高にモテた男の物語 上
  • 著者:鹿島 茂
  • 出版社:キノブックス
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(364ページ)
  • 発売日:2018-03-30
  • ISBN-10:4908059942
  • ISBN-13:978-4908059940
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稀代のプレイボーイ、カサノヴァの生涯をフランス文学者・鹿島茂氏が『回想録』をもとに詳細に解説。

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