書評

『死を生きた人びと』(みすず書房)

  • 2018/06/23
死を生きた人びと / 小堀 鷗一郎
死を生きた人びと
  • 著者:小堀 鷗一郎
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(216ページ)
  • 発売日:2018-05-02
  • ISBN-10:4622086905
  • ISBN-13:978-4622086901
内容紹介:
355人の看取りに関わった往診医が語るさまざまな死の記録。延命のみに長けた現代社会で、患者たちが望み、模索し続けた最期とは。

どう死ぬかというメッセージを伝える

戸口に死がやってきたとき、住み慣れたわが家で死と対面した。ある人は一日で終わった。ある人は何年も向き合っていた。やがて定めのような時がくる。医師はその間、死にゆく人の置かれている状況を、つぶさに見ていた。

二〇二五年には、日本の人口の三分の一近くは六五歳以上の高齢者が占める。そのうち四分の一から五分の一に介護が必要になる。いわゆる「高齢者の人口爆発」は目前だ。

外科医小堀鴎一郎は六五歳の定年まで四〇年間、大学病院・国立医療機関に勤務した。職務は主に外科医としての手術だった。定年退職後、埼玉県新座市の堀ノ内病院に赴任した。二年ばかりして、退職する同僚にたのまれ、寝たきりの患者二名を引き継いだ。「私はそのとき初めて、医師が患者宅を訪問することによって成り立つ在宅医療というジャンルが存在することを知った」

二〇〇五年二月のことである。おりしも国が高齢者の終末期医療の場を、病院から自宅へ転換し始めたころだった。小堀医師は訪問医療の黎明(れいめい)期、そしてそれが急速に制度化されていくのもまた、みずからの体験でつぶさに知った。

未知の世界に足を踏み入れて半年もしないうちに、往診患者数は二〇名をこえた。四年後には四〇名、九年目には一〇〇名あまり。一三年が経過して記録をまとめたとき、三五五名の臨終にかかわっていた。そのうち在宅死が二七一名。厚生労働省の用語をあてると「在宅看取り率七六・三%」。八割が病院で死亡する医療の現状からすると、驚異的数字である。

むろん、そのことを言うために記録をまとめたわけではない。話す口のない死者に代わり、そのメッセージを伝えるためである。「これらはさまざまな思いを遺(のこ)してこの世を去った人々への私の挽歌(ばんか)である」

42の事例が選んである。そこから、さまざまな現実が浮かび出る。医療先進国ニッポンが、ひたすら「生かす医療」一辺倒で進んできて、欧米ではとっくに実現している、やすらかに「死なせる医療」に目をくれなかった。事例を通して、この医師の終末医療に対する考えが見てとれる。

事例25 七六歳男性、胃がんの手術をしたが再発。自宅に帰ることを強く希望。「初めての訪問診療時は、ひどく痩せて腹水がたまり、食事もほとんど取れていなかった。本人の第一声は『好きな酒が自由に飲みたい』ということであったので、その場で好きなだけ飲んでよい、と許可した」

小堀医師はある日、昔、患者から贈られたジョニーウオーカーの青ラベルが自宅にあるのを思い出し、持参した。コルク栓が劣化しており、栓抜きもないので、スプーンの柄を使った。大量のコルク屑(くず)と一緒に、酒好きの患者と訪問診療医は乾杯した。患者は嬉(うれ)しさのあまり、もうすぐ生まれる孫に医師の名前をつけると言い張ったが、医師は祖父となる当人の名前の一字と組み合わせて「久一郎」で折り合いをつけた。「この提案は母となる娘に即座に却下された」

事例28 九三歳女性、長女と二人暮らし。中年の長女に明らかな身体上のハンディキャップが見られた。二年九カ月、月一回の訪問診療を行った。最期が迫っていることが明らかになったが、本人も長女も入院しての延命措置を望まなかった。そのようなある日、訪問医はふと口にした。この二年間、自分がいつも感じたのは「娘さんの暮らしぶりがきわめて自然だということ」。母親の教育が良かったからで、その意味で「娘さんはあなたの勲章」だと言える。

患者である母親は、目を閉じたまま、身じろぎもせず聞いていた。いつもは丁寧な挨拶(あいさつ)を欠かさない人が、一言も発しなかった。一カ月後の死のときまで、この件はまったく話題に上ることなく、「通常の、ごく自然なやり取りは彼女が息を引き取る直前まで変わるところはなかった」

この本がすばらしいのは、在宅医療の直面している問題点を、一つ一つ具体的にあげていって、改善策を述べていることだろうが、私が目を丸くしたのは、数多くの事例の書き方である。きわめてプライベートな報告であるにもかかわらず、いっさいの情緒をいれず、「私的」な要素がきちんと拭い取ってある。その清潔さは、祖父森鴎外の文体さながらで、その上で当人に代わり、どう生きたいのか、つまりどう死ぬか、メッセージが明瞭に伝えてある。

死にゆく人への深いやさしみと共感だ。勇気をもって死と向き合った人への敬意である。未知の世界で見つけた人間性の奥深さ。だからこそオートメーション化した現代医療への鋭い批判が出る。家族も患者自身も死を考えない時代相を言わずにいられない。

ところで小堀先生担当の患者がうなぎのぼりにのびたのは、何よりも人間味あふれた人となりによるのではなかろうか。その看取りが患者にとって、死という不安な未知への旅立ちに、どんなにか勇気を与えてくれたことだろう。
死を生きた人びと / 小堀 鷗一郎
死を生きた人びと
  • 著者:小堀 鷗一郎
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(216ページ)
  • 発売日:2018-05-02
  • ISBN-10:4622086905
  • ISBN-13:978-4622086901
内容紹介:
355人の看取りに関わった往診医が語るさまざまな死の記録。延命のみに長けた現代社会で、患者たちが望み、模索し続けた最期とは。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2018年6月17日

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