書評
『あめりか物語』(新潮社)
「予は淫楽を欲して已(や)まず」。わがまま勝手をつらぬいて老いた独身者
1908(明治41)年、5年におよんだ海外滞在から帰国した永井荷風は、新橋の芸者ふたりとあいついで親しんだ。やがて、息子の遊蕩ぶりをあやぶんだ父の懇望で堅気の娘と結婚したが、父が死ぬとすぐに離縁した。かわって入籍した芸者にも逃げられたあとは、ついに結婚しなかった。「独酌、独吟、独棲」「独楽(こま)の如く独りで勝手にくるくると廻るにかぎり申候」
10代のおわりから芸界に憧れて落語家の弟子になり、歌舞伎の座付作者見習ともなった荷風にとって、『あめりか物語』で異郷に埋没する日本人たちの孤影は、それを見つめる自分を含め、一場の芝居の登場人物であった。パリもニューヨークも新橋も玉の井も浅草も、みな舞台であった。荷風はその生涯を、ひとり劇場に生きたのである。
内容解説
「亜米利加に来てより余が脳裏には芸術上の革命漸く起らんとしつつあるが如し」20世紀初頭の米国にあって、若き荷風は米国文化のはなやかさより、その暗黒面に深い感慨を寄せ、社会層の断面をみごとに活写する。この清新な旅行記の出現は、谷崎潤一郎、佐藤春夫らを鼓舞し、やがて耽美派と呼ばれる一大文学潮流の源ともなってゆく。稀有なロマン主義者・荷風の、精神形成の記録。【この書評が収録されている書籍】