書評

『グリーンスパンの隠し絵』(名古屋大学出版会)

  • 2018/07/11
グリーンスパンの隠し絵【上巻】―中央銀行制の成熟と限界― / 村井 明彦
グリーンスパンの隠し絵【上巻】―中央銀行制の成熟と限界―
  • 著者:村井 明彦
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(326ページ)
  • 発売日:2017-04-07
  • ISBN:4815808694
内容紹介:
揺れ動く金融政策。何が正しいのか。前人未到の長期安定を実現したアメリカ中央銀行総裁が中央銀行制を嫌っていたのは何故か。神話の陰に隠れたその思想と行動を初めて経済学的に解明、現代経済学の枠組みを再設定する画期的労作。上巻では、若き日の遍歴から「大平準」までをたどる。

二つのサークルの知的伝統

アラン・グリーンスパンは一九八七年から二〇〇六年までの十八年間米FRB(連邦準備制度理事会)議長を務め、卓越した政策手腕で生きながらにして「神話」となった人物である。就任年のブラックマンデーのごとく金融パニックが頻発する時代にありながら、とくに一九九一年からの十年間はマクロ経済指標の変動を顕著に押さえ込んで未曽有の経済的安定をもたらした。

M・フリードマンが言っている。「経済の中のさまざまな動きやショックを見抜く目を他の人たちは持たないが、アラン・グリーンスパンは持つということなんでしょうか」。対談相手のJ・B・テイラーも追随する。「うーん、ありえますね」

彼らは思惑入り乱れる市場経済を制御するに当たり金融政策は「ルール化」すべしと唱えてきた両巨頭である。その二人をして、金融政策におけるグリーンスパンの「裁量」だけは例外として認めざるをえなかったのだ。だが「神話」には後日談がある。退任後にサブプライム・ローン・ショックからリーマン・ショックという大危機が到来したため、多く出版された評伝ではその兆候を見過ごしたと貶(けな)されたのだ。グリーンスパンとはいったい何者なのか。どんな原理でその裁量はたんなる思いつきにならなかったのか。彼は何につまずいたのか。

本書は、いまなお現場に影響するだけに分かりやすい発言が少ないこの謎の人物につき多種多様な英文資料を読みあさり、包括的に描き出した問題作である。なかでも経済学の異端的サークル「オーストリー学派」と、亡命文学者であり社会福祉を不正義とみなす自由主義者のアイン・ランドを取り巻くサークルにニューヨークでグリーンスパンが属し、双方の影響を色濃く残すと指摘した点は特筆に値する。元が博士論文だけに大部でしかも詳細ではあるが、文章はヒリヒリするほど闘争的かつ断定的で、引き込まれてしまう。

政府の規制を嫌う「市場原理主義」といえば先述のフリードマンや合理的期待形成論のR・ルーカスが著名だが、オーストリー学派も筋金入りで、リーダーであるL・ミーゼスの景気循環論は中央銀行(米国ではFRB)こそ諸悪の根源で、解体して金本位制に戻るべしとする。なによりその信奉者がFRB議長だったというのは驚きだ。ランドの『肩をすくめるアトラス』は聖書に次いでアメリカ人に影響を与えた書とされるが、彼らのリバタリアニズム(自由至上主義)はニューヨークに根付いた特異な知的伝統だったのだ。

著者の解釈では、グリーンスパンの裁量は本来ならば自動的に作動する金本位制を模倣せんとする「擬似金本位制」であり、そこには二つの柱があった。一つはミーゼス理論で、金本位制の下であれば金の準備義務に制約され、消費が一時的に増えても利子率が上がることで企業の設備投資には歯止めがかかる。けれども中央銀行が金融緩和すれば、企業は過剰投資(誤投資)し、ゆくゆくは不良資産と化す。グリーンスパンは資本理論を独自に付け加え、貨幣注入を物価インフレに短絡させず、資産・賃金が先行騰貴するとして、さらに企業のリアルな動きを表す指標を選び抜くことで株式バブル発生前に予防的に利上げを敢行したのだ。この「統計的中間ミクロ経済学」理論が二つ目であった(最後には徴候を見過ごしたのだが)。

F・A・ハイエクはミーゼスの弟子にあたるが、彼も金本位制の復興を目指して『貨幣発行自由化論』を出版した。これには触れられていないが、グリーンスパンはどう読んだのか、尋ねてみたいものだ。
グリーンスパンの隠し絵【上巻】―中央銀行制の成熟と限界― / 村井 明彦
グリーンスパンの隠し絵【上巻】―中央銀行制の成熟と限界―
  • 著者:村井 明彦
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(326ページ)
  • 発売日:2017-04-07
  • ISBN:4815808694
内容紹介:
揺れ動く金融政策。何が正しいのか。前人未到の長期安定を実現したアメリカ中央銀行総裁が中央銀行制を嫌っていたのは何故か。神話の陰に隠れたその思想と行動を初めて経済学的に解明、現代経済学の枠組みを再設定する画期的労作。上巻では、若き日の遍歴から「大平準」までをたどる。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2017年9月3日

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