書評
『薔薇の名前』(東京創元社)
道草からの逆襲
とりあえずは僧院連続殺人ミステリーである。北イタリア、ボッビオの町にほど近い山上台地の修道院内で、7日間のうちにつぎつぎに6人の修道僧が殺害される。その謎(なぞ)ときを、さる重要会議のために修道院に立ち寄った、その名もバスカヴィルのウィリアムという、みるからにシャーロック・ホームズに縁のありそうな修道士が依頼される。やがて犯人はあがるが、それはウィリアムとは違う方法で事件を調査した異端審問官のお手柄だった。ところが、犯人があがったときから事件は思いがけない展開をみせて……というふうに話は運ぶ。むろん、謎の解決をここで要約してしまうのはルール違反だろう。といっても、読者の大多数はあらかじめ結末を知っていよう。11年前にでた原作は映画化もされて(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1990年)、ストーリーも分かっている。そのストーリーを物語るのが、ウィリアム修道士に随行するアドソ少年というワトソン役であることも、それが導師ウェリギリウスにみちびかれて地獄・煉獄をめぐるダンテになぞらえられていることも、あらかた承知している。しかし、それはあくまでも映画のストーリーで、小説はストーリーをはぐらかすために書かれた、ともいえそうだ。
一例がウィリアム修道士の推論方法である。目的に直線的に到達するよりは、わきへわきへと逸れる。夢や駄洒落(だじゃれ)や言葉遊びから推論の糸口をつかむ。逸脱し、迂回(うかい)し、わざと逆向きにあるく。要するに、迷路をあるく人か踊る人の足つきを真似ている。これでは一直線に獲物におそいかかる異端審問官の論理にとうてい太刀打ちできるはずがない。案の定、彼は敗北する。すると今度は、その敗北を論理に組み込んで不退転(ふてね)の闘争を継続する。一気に天上に舞い上がるのではない。たえず地べたに叩きつけられては起き上がる。論理の道化師。彼はサーカスの道化師に似ている。サーカスといえば、冒頭の逃げた馬の挿話から結末の火事場面の家畜の大騒動にいたるまで、カーニヴァルや動物曲芸のこけつまろびつ的身体性が一貫してみられるのも、この小説の読みどころだろう。
さて、方法は道化の笑いである。だからこそ、笑い崩れながら迎える目的は愛、ということになろう。もちろんこの多角形の修道院が舞台の小説には、多角的な読み方がいくらもかくされている。そして読者がそれぞれに読むにつれて、開け胡麻(ごま)のかくされた迷路はつぎつぎにひらける。
【この書評が収録されている書籍】
朝日新聞 1990年4月15日
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