書評

フーコーの振り子(文藝春秋)

  • 2017/07/06
フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫) / ウンベルト エーコ
フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫)
  • 著者:ウンベルト エーコ
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(566ページ)
  • ISBN:416725445X

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『フーコーの振り子』は、小説というものが徹頭徹尾「構想力」の産物であること、あるいはそうあるべきことを思い知らせてくれる気宇壮大な傑作である。ピラネージのあの大牢獄にも似た言語空間のなかに入りこんだ読者は、そこを彷徨い、ときに立ち止まり、あるいは我を忘れ、しばしば焦立ち、そしておそらく救われるだろう。

ミラノの出版社にアルデンティ大佐なる人物が現われ、テンプル騎士団に関する暗号メモのようなものを残し失踪する。編集者のカゾボン、ベルボ、ディオタッレーヴィの三人は、徐々にテンプル騎士団の謎に深入りし、この暗号の解読を試みながら、ヨーロッパの「知」の暗号を次々と浮かび上がらせて、ついには驚くべき解釈体系を築き上げる。それは、パリ国立工芸院にある「フーコーの振り子」の秘密に帰着するものだった。と、あえて筋を書けば、こんなふうになるだろうが、しかし著者エーコは小説を「大牢獄」たらしめるべく、そこにさまざまな「罠」を仕掛けている。

まず、語りの構造である。『薔薇の名前』の諸事件は、ベネディクト会の定時課によって秩序づけられていた。エーコは今度はセフィロトの樹を用いる。カバラにおける神性流出の十態からなる「樹」が、物語的秩序の枠を構成するのである。神聖な第一原理としての「ケテル」(王冠)あるいは「エーン・ソーフ」(無限)から始まる物語は、地上界を意味する「マルフート」で終焉する。いわば天上から地上への復帰、これがもっとも基本的な意味的脈絡である。これに呼応するかのように、エーコは語り手カゾボンの位置を物語の終焉の地、丘の上のベルボの伯父さんの家に定め(「今こうして丘の上で…」)、彼がパリ国立工芸院の潜望鏡のなかに身を隠した「二日前の夜」から話を開始する。しかもそこからさらに過去に遡るというかたちで、時間の入れ子構造を実現しながら、最終的に語りの「現在」に帰着させる。著者はさらに、ベルボが自分のコンピューター「アブ」に入れた「ファイル」を、カゾボンの語りに並行させるかのように挿入する。「アブ」とは、文字の組み合わせ法を探求した十三世紀スペインのカバラ学者アブラハム・アブラフィアから採った愛称である。ベルボの思考の推移を明かす「ファイル」は、カゾボンの語りと相俟って、物語的時間をいっそう錯雑にする。幻想と現実、夢と覚醒がないまぜになったベルボの文章は、しかしときにこの物語そのものを端的に表現してみせるのだ。「何たる浪費。迷宮(ラビリンス)のほうがよっぽどましではないか。どこにでも連れていってくれる、そしてどこにも連れていってくれないような迷宮。スタイルで死ぬためにバロックに生きる。」

スタイルで死ぬためにバロックに生きる――実際、これこそ本書のすべてであるといっていい。この「バロック」を構成し、あるいは増殖・肥大させるのが、ジョン・ディー、フランシス・ベーコン、シェイクスピア、サン・ジェルマン伯、ナポレオン、ヒトラー、アレイスター・クローリーといった人物であり、あるいは錬金術、グノーシス主義、薔薇十字団、フリーメーソン、カタリ派、聖杯伝説、ドルイド教、降霊術、地球空洞説、地電流といった暗黒知の系譜である。そうした「バロック」的意匠に次々と出会いながら、読者は、荒俣宏を、半村良を、小栗虫太郎を、笠井潔を、高橋克彦を、中井英夫を、あるいは安部公房を、という具合に日本人作家の名前をその都度思い浮かべることもできよう。たしかに、本書はそうした連想をすべて容れる大きさをもっている。いずれにせよ、エーコは各章のはじめにアタナシウス・キルヒャー、ロバート・フラッド、R・バートン、パラケルスス、ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエといった十七世紀バロックを代表する思想家たちの著作から引いた言葉を多く掲げて、本書をひとつのバロック的書物たらしめようとする意図を隠していない。それは、言葉を換えれば、カゾボンがベルボの「ファイル」を評していったように、「引用、剽窃、借用」、「狂わんばかりのコラージュ」、あるいは「吹き替え(キッチュ、パスティーシュ、パロディー)」によって本書が構成されているということでもある。ジェラール・ジュネット流にいえば、「パランプセスト」としての文学。

その実態を仔細に検討していたら切りがない。ここではひとつのことだけに言及しておこう。ほかならぬ「フーコー」という名前についてである。ここでフーコーとは、もちろん、振り子の実験で地球の回転を証明した十九世紀フランスの物理学者ジャン・ベルナール・レオン・フーコーを意味している。しかし、誰もが最初に感じたであろうように、これはまたあのミシェル・フーコーを暗に指しているのではないか。あらゆる言葉、あらゆる概念、あらゆる人物をひたすら結びつけて、幻想の解釈体系を築き上げていく主人公たちの営為は、『言葉と物』における「類似性」の説明のパロディーそのものである。そして本書は、いわばもうひとつの『知の考古学』にほかなるまい。それかあらぬか、ミシェル・フーコーがパリで死んだのが一九八四年六月二十五日。これはベルボの死とカゾボンの最期とにはさまれた日付なのだ。こういうアリュージョンが本書には数多く見出せる。アルド・モーロの「赤い旅団」による誘拐・暗殺、ボローニャ中央駅爆破事件、そしてなによりも五月革命。本書には、五月革命以降の現代史が織りこまれてもいるのだ。

組み換え遊び。本書のバロキスムをそう呼ぶこともできる。またしてもベルボが「ファイル」でいっていたように、アナグラム(anagrams)は「アルス・マグナ」(ars magna)なのだ。だが、あまりに言葉遊びに淫した人間は、その責任をみずから引き受けるほかはない。ディオタッレーヴィは、それを自分の細胞で贖うことになるだろう。「君はこれまで音位転換(メタセシス)という修辞の言葉が、腫瘍の転移(メタスタシス)に似ていると考えてみたことはないか」と語る彼は、CGC、GCC、GCG、CGGといったRNAの三連符の組み換えを体現して、(つまり癌に侵されて)死んでしまう。

しかし、「スタイルで死ぬ」とは、どういうことだろうか。ベルボの死とそれを追体験するカゾボンの最期こそ、この小説のクライマックスであり、そしてあらゆる「バロック」的なるものがそのために要請された、あの「マルフート」なのである。カゾボンはベルボの「ファイル」を通して、彼がかつて「真実の瞬間」「自分自身の化学の結婚」を体験したことがあるのを知る。それは、子供のとき、南天の太陽に向けて、ニーチェのいうあの「永遠の正午」に、トランペットを吹き鳴らした「煌めきの瞬間」である。カゾボンは、「振り子」のワイヤーに吊るされて死んだベルボが、その「振り子」の運動を停止させて、みずから「不動の心棒」になったとき、彼が「絶対」と和解したこと、あの失われた「瞬間」をそのようなかたちで決定的に取り戻したことを直観する。本当の秘密とは、秘密などないという秘密なのだ。カゾボンは、ベルボの「真実の瞬間」の直観によって、そのことを知る。そしてかつて自分が黄色い桃を丸かじりしたその瞬間も「天国」の到来にほかならなかったことを悟るのだ。

この長い物語は、結局、この「瞬間」の認識へ向けての迷宮の、あの「大牢獄」の彷徨の軌跡にほかならないわけだ。これは、いわばエーコの『失われた時を求めて』であり、『若き日の芸術家の肖像』なのである。スティーヴン・ディダラスのいう「美的瞬間」は、エーコのそれと無縁ではない。あるいは、恋人アニーのいう「完璧な瞬間」の何たるかを質しながら、みずから「一篇の物語」を書こうと決意するにいたるサルトルの『嘔吐』の主人公ロカンタンは、カゾボンやベルボの遠からぬ親類である。

小説の最後に、カゾボンは「ほら、あんなに美しい」と呟く。『ファウスト』のパロディ? しかし、ともかくも「振り子」は停止したのであり、それゆえ時は止まったのだ。

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ファウスト〈第1部〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
  • 著者:ヨハーン・ヴォルフガング ゲーテ
  • 出版社:集英社
  • 装丁:文庫(358ページ)
  • 発売日:2004-05-01
  • ISBN:408761008X

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【この書評が収録されている書籍】
書物のエロティックス / 谷川 渥
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  • 著者:谷川 渥
  • 出版社:右文書院
  • 装丁:ペーパーバック(318ページ)
  • ISBN:4842107588

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フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫) / ウンベルト エーコ
フーコーの振り子〈上〉 (文春文庫)
  • 著者:ウンベルト エーコ
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(566ページ)
  • ISBN:416725445X

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初出メディア

週刊読書人

週刊読書人 1993年4月5日

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