書評

『片想いのシャッター―私の沖縄10年の記録』(現代書館)

  • 2018/09/16
片想いのシャッター―私の沖縄10年の記録 / 松村 久美
片想いのシャッター―私の沖縄10年の記録
  • 著者:松村 久美
  • 出版社:現代書館
  • 装丁:-(198ページ)
内容紹介:
カメラを放り出してしまいたくなった時、離婚で身も心もボロボロになった時、沖“縄に”新たなまなざしを向けることで私は生きかえった、この本は、復帰によって激しく世替りする沖縄社会を見つめ続ける女性カメラマンの心の旅の記録。

青春ドキュメント

『片想いのシャッター――私の沖縄十年の記録』(村松久美・写真・文、現代書館)。同じころ二人の友人にすすめられたこの本は、カメラウーマンによる沖縄十年の写真集であり、女性の恋愛から自立までの経過を描ききったドキュメントである。写真と文章がこれほど等価に格闘している例はめずらしい。

一九六八年十一月、復帰前の沖縄に彼女は着く。晴海から四十八時間の船旅が終わると、ズボンがズルッと太腿まで落ちるほどやせていた。

先輩カメラマンである恋人が迎えに来ていた。その日、B52が嘉手納基地に墜落、数日前、即時無条件全面返還を旗印に、革新・屋良主席が誕生したばかり。今やリゾート地としてのみイメージされる沖縄の、二十三年前の姿である。二人は返還前夜の沖縄の熱気の中で同棲し、くる日もくる日も、赤旗なびく現場に体を張りつかせた。

二十一歳の新米カメラウーマンはここで「なぜ撮るか」を鍛えられる。嫌いなギトギトの足テビチを無理やり口に入れることで「沖縄」への忠誠を示す。ハンセン氏病患者を取材して病気の少年にそっと触れる。頭の片隅で「大丈夫だろうか」と思う自分、それを責める自分がいる。現像できない自分に腹が立つ自分もいる。私とは何なのか、を問いつめる季節。

翌六九年十一月、彼と彼女が写した米軍基地の地対空ミサイル、ナイキ・ハーキュリーズが、それぞれ『アサヒグラフ』と『毎日グラフ』の表紙を飾る。軍が指定した同日同時刻同じ場所から写したので似かよった写真だった。彼のフィルムを彼女が流用したという噂が広まる。

どうしてこういうとき、誰も「彼が彼女のフィルムを使った」とはいわないのだろう。男社会の通念が(といったステロタイプな表現はイヤだが)仕事をする女を打ちのめす。カメラを持つのが怖くなる。

マチグワー(市場)へ出かけ、おばさんたちから沖縄料理をつぎつぎに教わる。女たちに癒されながら、彼女はまったく違う沖縄を発見していく。ここで「主婦業に精を出し」たのは、彼と彼女の役割分担を固定化した点で「罪」だろう。が、一方、彼が激しい政治運動の取材に駆け回っているあいだ、彼女は離島を旅し、悠然たる時の流れのなかでの人々の暮らしという新たな対象を見い出し、ふたたびシャッターを押す。

ここを読んで、ジャーナリズムの中でなぜ国際ニュースや政治物は「第一線」とされ、ローカルや生活関連ニュースは「二流」なのか、という連想がふっと湧いた。所詮、ニンゲンがテーマなのに一流も二流もあるものか。先般の「松平アナが不祥事で地方局へ降格か」なんて地方局に失礼ではないか。ここでも国際や政治は男の世界だから一流で、地域や女子どもの生活は二流という「構造」なのである。

七一年の一一・一〇ゼネストで、警官が火ダルマとなって死ぬ。そして二人のアパートはでっちあげの殺人容疑で強制捜査をうける。彼のフィルムの押収が目的だった。これに対し彼は「報道を目的とした写真がそれ以外に使われることを拒否」する裁判を起こす。しかし翌七二年五月十五日、沖縄が「復帰」し、マスコミの「沖縄は終わった」といった風潮の中で、運動の熱気もカメラの仕事もなくなっていった。

二人は東京へ戻って裁判を続ける。「報道の自由を守ろう!」「権力の憲法二十四条への侵害を許すな!」というカッコイイ旗印の裏にどれだけ雑用があることか。ビラ作り、機関紙の編集、街頭署名、カンパ集め。宛名書きを家に持ち帰る彼女に「原告の女房だからといって少しやりすぎだよ。もっと会員にまかせろよ」という彼は、そのころ韓国という新たな対象にのめり込んでいった。

要するに彼は切りかえがうまく、彼女は不器用だったのだ。同時に、雑用をしない、と仲間になじられて「おれが出られない時は女房を出したじゃないか」という彼、「嫁なんだからオレの田舎へ帰るのが当然だろ」という彼に、あこがれのメッキがはげてゆく。

「なによりも彼と寝るのを拒絶するようになった」。多くの場合、ごまかされがちな「心とからだ」の真実を、彼女は率直に書いている。日本の女性の著者としては得がたい率直さだ。そして彼に女性ができた。荒れくるう彼女。ついに彼はカギを新聞受けにカタンと落として去っていく。

「彼が対面させてくれたとてつもない怪物〈沖縄〉。いままで吸収した知識も人間も彼の体を通過した沖縄であった」。残された彼女は考える。もう一度沖縄へ行こう。センチメンタル・ジャー二ーではなく、私自身の沖縄をつかむために。

彼女は沖縄で女がイニシアチブをとる祭りを取材する。祭りを司る巫女の老女に「いくつでノロになったの」という外来者的質問が、「東京の息子さんから便りはあった?」という自然な会話に変わったとき、沖縄の女たちと自分をへだてていたカメラの存在が気にならなくなった、とある。

彼女の、取材する身を置く場所の転換は、ナマナカなものではない。いまも圧倒的多数の取材者や研究者は、本書に登場するNHKのディレクターのように「おばあちゃん、ゆっくり歩いて、ハイも一度!」をやっているのである。

ジャーナリズムの力とは対象の情況に共感する力である。ジャーナリストを志す人には「ふだん会えない人に会える」(久和ひとみさん)「激動の世紀末の現場にいあわせたい」(田丸美寿々さん)というニュースキャスターたちとこの本の著者が、どれほど違う地点にいるか考えてみて欲しい。青春ドキュメントの定番として読みつがれてほしい本である。

【この書評が収録されている書籍】
読書休日 / 森 まゆみ
読書休日
  • 著者:森 まゆみ
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(285ページ)
  • 発売日:1994-02-01
  • ISBN-10:4794961596
  • ISBN-13:978-4794961594
内容紹介:
電話帳でも古新聞でも、活字ならなんでもいい。読む、書く、雑誌をつくる、と活字を愛してやまない森さんが、本をめぐる豊かな世界を語った。幼い日に心を揺さぶられた『フランダースの犬』、… もっと読む
電話帳でも古新聞でも、活字ならなんでもいい。読む、書く、雑誌をつくる、と活字を愛してやまない森さんが、本をめぐる豊かな世界を語った。幼い日に心を揺さぶられた『フランダースの犬』、『ゲーテ恋愛詩集』、そして幸田文『台所のおと』まで。地域・メディア・文学・子ども・ライフスタイル―多彩なジャンルの愛読書の中から、とりわけすぐれた百冊余をおすすめする。胸おどる読書案内。

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片想いのシャッター―私の沖縄10年の記録 / 松村 久美
片想いのシャッター―私の沖縄10年の記録
  • 著者:松村 久美
  • 出版社:現代書館
  • 装丁:-(198ページ)
内容紹介:
カメラを放り出してしまいたくなった時、離婚で身も心もボロボロになった時、沖“縄に”新たなまなざしを向けることで私は生きかえった、この本は、復帰によって激しく世替りする沖縄社会を見つめ続ける女性カメラマンの心の旅の記録。

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