書評
『地上楽園バース―リゾート都市の誕生』(岩波書店)
賭博師が育てたイギリス温泉町の盛衰
一年半ほど前に『地上楽園バース』が刊行され、このたび『バースの肖像』が出た(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1991年)。パリやローマやロンドンならいざしらず、ヨーロッパの片田舎の小都市を主人公とした本が日本で出るのは珍しいし、それもあいついで二冊も出るというのはめったにない。
と書いた後、“まてよ、パリやローマやロンドンを主人公とした本は日本で出た例があるのか”と疑い、チェックを入れてみたが、訳書ならともかく、日本人が書いたものは管見(かんけん)に入らなかった。ロンドンの社会史とかパリの形成史といったものはあるが、一つの都市をまるで一人の人物のように主人公に仕立てた読み物はバースが初めてではないか。著者の小林章夫氏(『地上楽園バース』岩波書店)も蛭川久康氏(『バースの肖像』研究社出版)もともに英文学者だから、バースというところはよほど文学者の想像力を刺激する町らしい。
どんな町かというと、日本の熱海と軽井沢の良いところだけを集めたイギリスの町と思ったらいい。
まずバスの町としてスタートした。お風呂の町である。ローマ時代にこの町で温泉が出て入浴の習慣が始まったから、風呂のことをバスというようになったという説を耳にしたこともある。逆かもしれないが、ともかく現在、風呂と同じ綴りの町は世界でここだけだろう。
そのひなびた温泉町が、十八世紀初頭、にわかに全イギリスの注目を集めるようになったのはリチャード・ナッシュという女遊びの術に長けた賭博師のせいだった。この賭博師、カモを求めてバースにやってきたが、運命のいたずらで、「滞在客の生活全般、ことにその中心となる社交関係の諸行事、諸規則を統轄する責任者」(蛭川)になった。なるやいなや彼は、宿泊施設から社交場での服装、振る舞いまで徹底的に介入し、“町での過ごし方憲章”を決め、バースをイギリスで最も洗練されたリゾート都市に仕立て上げる。仕立てに当たり、若い頃の女遊びが大いに役立ったのはいうまでもない。
冬になると、王侯貴族がやってきて華やかな社交生活を繰り広げ、この町から新しい風俗と流行はイギリス中に発信されるようになる。来た人がせっせと手紙を書くので、近代的な郵便事業はこの町から芽を吹く。
しかし、人気が逆に町の生命を縮めてしまった。しだいに猫もしゃくしもやってきて、洗練されたリゾート地としての魅力が使い尽くされてしまうのである。バースの地位低下とともにイギリス人は温泉に入る習慣を失い、代わりに海水浴を楽しむようになって今日にいたる。
二冊の本に刺激されて僕はバースに行ってみたが、二百年前の西洋温泉町がそのまま残っているというのは、街歩きファンにはたまらない面白さだった。イギリス最古のポストも立っていたし、ナッシュの家もあった。ただ、どんどん湧き出る温泉に誰も入ろうとせず、周りから見物している光景はなんとももったいない。手を入れてみたら適温だし、なめてみたらクセがない。誰か日本の温泉ファンが行って、バースの人にバスの入り方を教えてあげないといけない。
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