書評

『志ん生が語るクオリティの高い貧乏のススメ 昭和のように生きて心が豊かになる25の習慣』(講談社)

  • 2019/02/04
志ん生が語るクオリティの高い貧乏のススメ 昭和のように生きて心が豊かになる25の習慣 / 美濃部 由紀子
志ん生が語るクオリティの高い貧乏のススメ 昭和のように生きて心が豊かになる25の習慣
  • 著者:美濃部 由紀子
  • 出版社:講談社
  • 装丁:新書(208ページ)
  • 発売日:2019-01-19
  • ISBN-10:4065136296
  • ISBN-13:978-4065136294
内容紹介:
NHK大河ドラマ「いだてん」の主人公・古今亭志ん生。その孫が志ん生の口を借りて語る「懐にカネはなくとも心は金持ちな」生き方!

貧乏を嘆かず平然と味わう

正月に考えた。この日本はこれからどんどん他国に比べて貧乏になる。日本のGDP(国内総生産)が世界二位で経済大国だったのは昔話になるから、今から、我々は立派な貧乏人になる稽古(けいこ)をしっかりしないと、いけない。稽古なしに貧乏になるのは、練習なしに水に入るのと同じで、まことに危なっかしい。ヘイトと称して、近ごろ金回りが良くなったご近所の悪口を言って回ったりすると、鼻つまみ者になってみじめに終わるのがオチである。

そこで貧乏修行の先生が必要になる。誰がよかろう、と考えたが、噺家(はなしか)の古今亭志ん生などが貧乏にも筋金が入っていて良さそうである。貧乏には「傾き」が大事である。家が急に傾き、ジェットコースターのように急降下した落ちぶれの経験をもつ者だけが、貧乏の師匠になれる資格をもつ。その点、志ん生は申し分ない。なにしろ、家は美濃部という甲賀出身の高級旗本。それが維新でぺしゃんこになって親父(おやじ)が巡査になっている。本人も素行が悪いものだから、朝鮮の印刷工場に少年工として棄(す)てられている。ところが、「地下鉄の切符落として平気なり」という自作川柳のごとく、志ん生は泰然と生きてきた。

志ん生の本は多い。『なめくじ艦隊』『びんぼう自慢』などである。ところが、これらは例の志ん生節だから嘘(うそ)か真(まこと)かわからない。結城昌治『志ん生一代』、矢野誠一『志ん生のいる風景』も良い評伝であったが、一緒に暮らした家族の証言が出版されぬものか、と思っていたところに、本書が出た。著者は志ん生の孫娘、女優・池波志乃の実妹である。「貧乏したのは父(志ん生)ではない家族だ」と、長男の金原亭馬生がいうように、本当の貧乏は妻子にふりかかっていた。戦争で空襲が始まると、志ん生は怖いわ酒はないわで、妻子を置いて満州のほうに自分だけ逃げた。仕事でも「なんか行くの嫌んなっちゃった」「酒ぇ飲んでて忘れちゃった」と、高座ばかりか独演会から逃げたこともある。現代のストレス社会を念頭に、迷惑をかけられた家族の孫娘がいう。「努力をしても、どうにもならないときがあります。そんなとき、やはり、逃げてしまうというのもありです」。逃げは江戸っ子の得意技なのである。

江戸人は、なべて質素な暮らしをしていた。志ん生はモノに執着がなかった。モノに執着せず、金に使われない生き方をしていた、と、孫娘は証言する。ただ、大晦日(おおみそか)になれば、掛け取りも来る。借金だから払わねばならないが、志ん生にとっては、そのとき、ほんの少しばかり、金が貴くみえたらしい。「ふだんより金の貴い大晦日」などという川柳を詠んでいる。凶事もあれば吉事もある。人生はサイクルであり、心配事からうれしいことが生まれてくる。そのように志ん生は考えていたらしい。「懐は寒の中でも春が来る」などと言っているから、よほど根性が据わっている。

ただ何もしなくて良いわけではない。飯より好きな仕事を選び、仕事を道楽とする。その道楽仕事に、ふだんから勉強・努力・工夫を重ねていく。好きなんだからできるだろう、というのが、志ん生の理屈である。そうやって、自分の本分が人生で全うできるかどうかは、死んでみなければわからない。わからぬということは「この世では失敗も成功もない。しくじったか、上出来か、だけ」。貧乏を嘆かない。平然と味わう。これからの日本人に必要な修行である。暮れに「金がない」と、しょげて、僕のところへ借金にきた噺家にも、この本を贈ろうと思った。
志ん生が語るクオリティの高い貧乏のススメ 昭和のように生きて心が豊かになる25の習慣 / 美濃部 由紀子
志ん生が語るクオリティの高い貧乏のススメ 昭和のように生きて心が豊かになる25の習慣
  • 著者:美濃部 由紀子
  • 出版社:講談社
  • 装丁:新書(208ページ)
  • 発売日:2019-01-19
  • ISBN-10:4065136296
  • ISBN-13:978-4065136294
内容紹介:
NHK大河ドラマ「いだてん」の主人公・古今亭志ん生。その孫が志ん生の口を借りて語る「懐にカネはなくとも心は金持ちな」生き方!

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2019年1月27日

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