書評

『ホット・ジャズ・トリオ』(福武書店)

  • 2019/02/11
ホット・ジャズ・トリオ / ウイリアム・コツウィンクル
ホット・ジャズ・トリオ
  • 著者:ウイリアム・コツウィンクル
  • 翻訳:橋本 槙矩
  • 出版社:福武書店
  • 装丁:単行本(226ページ)
  • ISBN:4828840265
内容紹介:
幻想短編集 ジャンゴ・ラインハルトのブルース/ナイル川のブルース/貨物列車のブルース

ウィリアム・コツウィンクル(William Kotzwinkle 1938- )

アメリカの作家。さまざまな職業を経験したのち、1969年に短篇小説を発表してデビュー。『バドティース先生のラブ・コーラス』(1974)やDoctor Rat(1976)などの異色作で、ヴォネガットやブローティガンに比肩する作家との評判を獲得。創作活動の領域は、詩集、児童文学、SF、映画の小説化まで広範におよぶ。そのほかの著作に『ファタ・モルガーナ』(1977)、『時のさすらい人』(1987)、 『ホット・ジャズ・トリオ』(1989)などがある。

introduction

コツウィンクルの本邦初紹介である『バドティース先生のラブ・コーラス』は、マリファナの代わりにパパイヤの皮やアスパラガスの葉を吸って、天井まで積みあげたガラクタの底でトリップしているヒッピーおやじの話だった。これが《サンリオSF文庫》の一冊で出たのである。SFファンは日夜領土拡大にいそしんでいて、聖書でもカレワラでもラーマヤーナでも、マーク・トウェインでもフランツ・カフカでもドナルド・バーセルミでも、いっさいがっさいSFにしてしまうのだが、『バドティース先生』はどうやってもSFじゃない。ぼくも最初に読んだときは「なんじゃ、こりゃあ」と声をあげたものだ。だが、ヘンテコな作品はなぜかあとを引く。このごろコツウィンクルの児童書がぽつぽつ翻訳されているけれど、彼の奇妙な小説をもっと紹介してくれないものか。

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マドレーヌの味に過去の情景を思いだすなら情緒もあるが、仕事の最中、ふいに「大きな古時計」が頭のなかで鳴りはじめるのは、あまり具合がよくない。中学か高校の合唱コンクールで歌った曲だが、その前奏だけ何度も何度も繰りかえされる。こうなるともうダメで、その日はずっと〈古時計の日〉だ。打ちあわせをしていても、原稿を書いていても、メロディが離れない。そんなループ状の記憶は音楽だけではなく、あるときは、縁側の羽目板をドングリの実でこする匂いだったり、プールの底から見あげた光の散乱だったり、ブロック崩しの球の動きだったりする。それまで忘れていた日常の断片が、エンドレスで甦ってくる。

BGMみたいなものなので生活に支障をきたすほどではないが、そんな記憶のループがだんだん増えていき、現在の時間を侵食してしまうのではないかと、ちょっと不安になる。しかし、人間の個性なんてのは、つまるところ記憶ループがいくつも寄りあつまって形成されているんじゃないか。心のなかではつねに無数の断片がぐるぐるリピートされていて、そのうちバランスがちょっと崩れたものが、意識の表面にまでのぼってくるのだ。などと考えてみたりする。

そんなことを気にしているものだから、ウィリアム・コツウィンクルの「ジャンゴ・ラインハルトのブルース」という中編は、かくべつに楽しめた。短篇集『ホット・ジャズ・トリオ』に収録された一篇である。

無国籍のサックス奏者は、子供のころから彼につきまとっていたもの、音楽のようなものをちらっと見た気がした。しかしそれは通常、音楽について人が抱く考えとは、別のところに存在していた。室内楽が頭の中に聞こえた。ロッシーニだ……少年のころそれを弾いていたのを思い出した。だけど、何で今ごろ? なぜ、奇妙な感覚が頭の上に、網のようにかぶさってくるのだろう? ロッシーニの調べはだんだん大きくなっていった。

物語がはじまって間もなく、こんなくだりにぶつかって、思わず膝をたたいてしまう。まあ、これはいちおう伏線にもなっているのだけど、そんなことにこだわらないでもいい。ストーリイそのものが素直に進むわけじゃないのだから。

モンパルナス華やかしころのパリ。奇術師ルブランは、箱を使った消失マジックで人気を博していたが、あるときアシスタントのロリーが本当に消えてしまう。困りはてたルブランは、ホット・ジャズ・トリオ(ジャンゴ、アルゴス、無国籍のサックス奏者)と、詩人のジャン・コクトーの手を借りて、探索をはじめる。彼らが見つけた手がかりといえば、船乗りが持つ不思議なスポンジのなかから聞こえたロリーの声、ひまわりの花にあらわれた彼女の顔。どうやらロリーは、別な世界に迷いこんだらしい。そうするうちに、コクトーも広場の輪郭線につけまわされたあげく、姿を消してしまう。

ロリーやコクトーが迷いこんだのは、いったいどんな世界か? それが判然としない。

あるときは「生命のないものの霊界」と呼ばれ、箱や箪笥、シルクのハンカチなどが意志をもって動きまわっている。ロリーはマジックに使う箱に見そめられて、さらわれたのだ。モノばかりでなく、ピストルのマジックに失敗して死んだイギリス人シング・ウーも、ここに住んでいる。コクトーにつづいてこの世界に迷いこんだルブランは、シング・ウーの手助けで、ロリーを探す旅をはじめる。

この世界には現実と地つづきの部分もあるらしい。ロリーがスポンジやひまわりの花を通じてパリと話ができたのもそうだし、コクトーは演奏中のホット・ジャズ・トリオにメッセージを送っている。逆に現実から、この世界へ自由にやってくる人物もいる。ロリーを探す途中、コクトーは、傘に囲まれて暮しているエリック・サティに出くわす。「サティ、君もこの国に囚われているのか?」と訊ねると、彼は合点がいかぬようすで、「あー君ね、僕は今赤インクで小節のない楽譜をかいている最中なんだよ」と答える。

あるいは、ここは夢の世界か? ロリーを救出したコクトーが逃げ道を探しているとき、箱たちの住む街の上空、人間の形をした凧が風に乗っているのを見つける。それはパジャマを着て、足にスリッパを引っかけたアンドレ・ブルトンだった。夢や無意識の力を信じたブルトンは、何度もこの世界を訪れているらしい。しかし夢だとしても、これは尋常な夢ではない。コクトーは言う、「夢の中では、信じていれば押すだけで壁を通ってゆける。しかしここでは壁の方が自分の意志でこっちへ来たりあっちへ行ったりするんだ。すごくしたたかで初心者の夢の手品など全く通用しないんだ」。

いずれにしても、物理法則と精神作用の区別ができない場所であることはたしかだ。たとえば、ルブランのあとを追ってやってきた、ギター奏者のジャンゴと歌手のミニョンヌは、「ここには昔に来たことがある」という妙な感覚を抱く。コクトーはおじいちゃんの箪笥と出会い、幼年期がまざまざと甦ってくる。〈古箪笥の日〉だ。かなり遅れて、この世界に到着した無国籍のサックス奏者も、ロッシーニのかつらを手に入れ、ロッシーニ自身の記憶に取りつかれる。〈ロッシーニの日〉だ。

いや、ロッシーニの記憶は、サックス奏者本人の過去ではない。ステルビニの歌曲、母が歌うコミックオペラ……すべて百何十年も前の記憶だ。しかし、それはそんなに奇妙なことか。記憶や思い出は、ときに個人からあふれでて、他人へと伝播していく。小説を読むとき心に残るのは、読書をしたという「自分自身」の記憶ではなく、そこに綴られた「他人の」記憶や思い出ではないか。ある日突然、ブルトン凧のパジャマのたなびき、広場の輪郭線が追いかけてくる光景が、ぼくの脳裏にまざまざと甦るかもしれない。

【この書評が収録されている書籍】
世界文学ワンダーランド / 牧 眞司
世界文学ワンダーランド
  • 著者:牧 眞司
  • 出版社:本の雑誌社
  • 装丁:単行本(397ページ)
  • 発売日:2007-03-01
  • ISBN:4860110668
内容紹介:
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ホット・ジャズ・トリオ / ウイリアム・コツウィンクル
ホット・ジャズ・トリオ
  • 著者:ウイリアム・コツウィンクル
  • 翻訳:橋本 槙矩
  • 出版社:福武書店
  • 装丁:単行本(226ページ)
  • ISBN:4828840265
内容紹介:
幻想短編集 ジャンゴ・ラインハルトのブルース/ナイル川のブルース/貨物列車のブルース

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