大衆社会の実相をするどく分析した不朽の名著
「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく一九三〇年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。現在のヨーロッパの思想的現状は、かつて被指導者であった「大衆」人間の大群が、世界を支配する決心をし、指導者になりつつあるという傾向である。
「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ、無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。
彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。
十九世紀の文明は、「大衆」人間が過剰の世界に安住することを可能にする文明であった。彼らは、そこでありあまる手段、すばらしい道具、卓効ある薬、豊かな便宜、快適な権利に取り囲まれて、そこの底辺にひそむ苦悩はもちろん、それらを発明し、それらを将来に保証する仕事がどれほど困難であるかにも目をつむっている。
「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。
われわれは自由主義の生み出した、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。
[書き手]久野収(評論家)