フクロウへの愛と敬意をもって生活と習性と知恵を克明に記す
フクロウは絵になる鳥である。月光を背に、梢(こずえ)に凝然ととまっている。金色の二つの目玉、三角の尖(とが)った嘴(くちばし)、目のまわりの白い羽毛、翼をたたんだ黒い一点。古くから英知をあらわす鳥であって、出版社のマークや書店の標識に使われてきた。不吉な予告の鳥とみなされることもあった。ペンダントやお守りとして愛されてきた。たとえ実物は知らなくても、たいていの人はどこかでなじんでいる。
『フクロウの家』は溜め息が出るほど美しいフクロウ本である。五十年あまり前、若い画家・彫刻家夫婦が、アメリカ・ワシントン州シアトル北部の湖と小川と森のほとりに住居を見つけたのが始まりだった。古木に巣箱をとりつけた。サイズ、入り口の大きさ、中の敷き物に注意しているから、フクロウの生態をよく知っていたのだろう。以下、すみついたフクロウの観察の記録にうつっていく。
縄張りの主張、つがいが絆を深める過程、雛(ひな)が生まれると雄も雌も「戦略的に止まり木を選ぶ」ということ。巣箱の両側にとまって護衛する。カラスの群れが襲ってくると、「圧倒的に不利と思われる状況」であろうとも、止まり木から滑空して、群れの中の一羽を攻めたてる。巣離れしたばかりの雛が豪雨にあうと、母フクロウが羽根をひろげて避難場となる。親が狩りをするようすを、若いフクロウがじっと見つめている。
いま述べた一つ一つが、言葉だけでなく、細いペンによる細密画風に絵解きされている。陰影ゆたかなモノクロの世界が、森で演じられるさまざまなシーンをのぞかせてくれる。
「獲物に襲いかかるフクロウの一連の様子」
地上に獲物を見つけると、急降下を始め、何度も羽ばたいて加速し、獲物にぶつかる直前で急ブレーキをかけ、足をのばし、鉤爪(かぎつめ)のある指でワシづかみにする。ふつうなら分解写真によるところだが、ここでは八つの精緻なフクロウの姿で示してある。精密な観察と、腕のいい職人的技術がなくてはできないことだろう。
「フクロウの家」「フクロウのこと」「フクロウとわたしたちの文化」「人間と共生するフクロウ」……。どの章であれ、鳥類学者ではなく、画家・彫刻家の目で追っていく。危険に直面したフクロウは本能的に威嚇するが、おりおり身を隠そうとする。そのときの羽根の広げ方。敵の気をそらすために「傷つき苦しんでいるふり」をするスタイル。
獲物を見つけるにあたって、「獲物の存在を教えてくれるどんな些細な情報でも嗅ぎ分ける能力」。宿敵とにらみ合うフクロウ。サソリが好物のフクロウは先に毒針を取り除き、ついで解体にかかる。つねに動きでもってとらえ、そのなかにフクロウの知恵と勇気と習性を見てとっていく。
フクロウは群れない。あふれるような敬愛につつんだ絵の一つだが、人の手に乗ったチビっ子のニシアメリカオオコノハズクにつけて述べてある。「フクロウの種の多くにとって、未来はわたしたちの責任の引き受け方次第である」
当今、アメリカというとトランプとか獰猛(どうもう)な人物しかいないかのようだが、「天使」を名乗る愛すべきアメリカ人もいるのである。