二〇一九年は第二次世界大戦の勃発から八十年。一九三九年九月一日、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻したことが発端となった。ヒトラー政権はそれに先立つ八月二十三日、ソ連のスターリン政権と不可侵条約を締結、世界に衝撃を与えた。この条約には双方が勢力圏の分割を取り決めた付属の秘密議定書が含まれていることが戦後明らかになる。議定書に基づき、同年九月十七日、こんどは東方からソ連軍がポーランドに侵攻した。これが欧州を東西に分断する冷戦構造の出発点となる。スターリンが東欧を勢力圏とする基礎を固めることにつながったからだ。
二〇一九年はその冷戦構造の終焉を決定づけた東欧革命から三十年の節目に当たる。冷戦の象徴だったベルリンの壁は一九八九年に崩壊した。激動を引き起こす民主化改革に先鞭を付けたのはポーランドやハンガリーであった。この地殻変動は東西ドイツの再統一、さらにソ連の崩壊へと発展していく。
ソ連支配圏から脱却した東欧は二〇〇四年に、ポーランドやハンガリーをはじめとする第一陣が現在の欧州連合(EU)に加盟、念願の欧州復帰を果たす。それが今や、EUに反旗を翻す欧州懐疑派の急先鋒に立ち、前代未聞の制裁手続きに直面している。民主化にも逆行するような退行現象はなぜ起きているのだろうか。
それだけではない。新冷戦と呼ばれる状況が忍び寄り、さらに西側と同義だった米欧関係ももはや一枚岩ではなくなっている。
このような歴史の節目に際し、またもや大きな転換点にさしかかった欧州。その現状を探っていくうえで、もっとふさわしい視点を提供するのが本書であろう。二十一世紀にあっても決して過去の史実にとどめおけない歴史的背景をあますところなく描いているからである。
取り上げるのは冷戦期東欧諸国のうち東ドイツ、ポーランド、ハンガリーの三カ国に絞り、ソ連がいかに東欧に共産主義システムの植え付けを図り、支配圏を形成していった発端から説き起こし、その成立過程を多面的かつ詳細に叙述している。
副題が示す通り、大戦終結の前年から冷戦の訪れとともに鉄のカーテンが敷かれ、東側陣営に取り込まれた東欧にソ連への反乱が起きた時期までを扱っている。その間のスターリン主義絶頂期に至る過程や、スターリン死後の世界の微妙な変化もたいへん興味深い。
これら三国に着目した理由として著者が挙げるのはそれぞれが「極めて異質」であるためだ。なによりも、それは第二次世界大戦と絡んでいる。一部を引用すると、ドイツは「主たる侵略者であり、最大の敗者」。ポーランドは「連合国の一員でドイツによる占領に激しく戦ったが、戦勝の分け前にあずかることはなかった」。ハンガリーは「その中間の役回りを演じ、権威主義体制を試み、対独協力を推進、のちに寝返ったが手遅れとなる」といった具合だ。それが戦後の共産主義建設を特徴付けていく。
著者はそうした個々の具体的なケース、各国のたどった経緯の違いに最大限の関心をもって臨んでいる。その立場から東欧を十把一絡げとして扱う見方には「冷戦のプリズムを通してしか見ていない」と厳しく批判。東欧の戦後史をソ連の引き写しのように論じたハンナ・アーレントは「間違っている」と断じる。それも、「全体主義の押し付けに対して人間がどう反応するか」を探るうえで、三国それぞれの事例をつぶさに研究、比較することが大いに参考になると考えているからにほかならない。
[書き手]山崎博康(共同通信社客員論説委員、法政大学非常勤講師)