書評
『歴史の白昼夢―フランス革命の18世紀』(河出書房新社)
『猫の大虐殺』で知られる歴史家のロバート・ダーントンはあるときブロードウェイの路上でこんな考えに襲われた。
歴史をやっている者でこの言葉にぐっとこない者はいないだろう。なにも感じないとしたらそれはよほど脳天気な歴史家だ。だが現実にはこの手の歴史家が実に多い。その結果、歴史は「生者」におもねった安易な歴史ドキュメンタリーになるか、さもなければ、一般人にはまったく理解できない「死者」だけを相手とした些末(さまつ)な研究論文になるほかはない。
この認識は新聞社から依頼されたフランス革命二百年に関する記事が難解すぎるという理由で没にされてしまったことをきっかけとして生まれた。つまり、ダーントン自身がアカデミズムの病に感染していることに気づいたのである。しかし、だからといって通俗的な口当たりのいい歴史を書けばいいというわけではない。なすべきことは、専門化しすぎて一般人には理解不能になった歴史研究も「人類の大きな部分との接触を目指している」ことを示すことである。
そのためにダーントンが選んだ方法のひとつが書評である。すなわち彼は「観念の社会史」「心性の歴史」「書物史」などの分野であらわれた最重要の専門的著作を複数取り上げ、まったく傾向や流派のことなるそれらの著作の方法論や論理展開などを各々(おのおの)検討して評価を下しながら、その分野独自の問題の所在を明らかにするという方法をとっている。たとえば「心性の歴史」では、フランス革命の心性は無名の犯罪者の失われた心の世界にあるとするリチャード・コッブの『警察と人民』と、統計図表や資料の定量分析などを駆使するアナール派のミシェル・ヴォヴェル『十八世紀プロヴァンス地方におけるバロック的敬虔(けいけん)と脱キリスト教化』を対極におき、これにアリエスの『死を前にした西欧人の態度』を加えて、それぞれの著作の射程と限界を鮮やかに浮き上がらせ、心性史の目指すべき方向を暗示する。またあまりにもフィールドが拡散しすぎて「熱帯雨林」のようになってしまった書物史では、書物の伝達サーキットの総体的モデルを図表化して提出し、そのモデルの中からもっとも未開拓な書籍販売業者の役割を取り上げ、どのように問題点を設定すべきかを実例で示してみせる。
もちろん論じられている著作や分野は極度に専門的なのだが、こうして整理されてみると、いままで焦点を結ばなかった難解な歴史書の群が、まるで解かれたパズルのように人間の顔をした像となってあらわれてくる。
久々に現れた「死者」を「生者」につなぐことのできる歴史書である。
【この書評が収録されている書籍】
歴史家というのは、異国の文化を征服するために出かけながら、かえってその文化に転向してしまった宣教師みたいなものである。我々は現代に戻り、過去の神秘について熱弁をふるう。だが、耳を傾ける者はほとんどいない。(……)我々は死者たちと言葉を交わしたのだ。しかし、生者に我々の話を聞いてもらうのは難しい。生者にとっては我々は退屈な存在にすぎない。
歴史をやっている者でこの言葉にぐっとこない者はいないだろう。なにも感じないとしたらそれはよほど脳天気な歴史家だ。だが現実にはこの手の歴史家が実に多い。その結果、歴史は「生者」におもねった安易な歴史ドキュメンタリーになるか、さもなければ、一般人にはまったく理解できない「死者」だけを相手とした些末(さまつ)な研究論文になるほかはない。
研究論文至上主義がアカデミーの世界をおおい、歴史は文化の片隅に追いやられた。大学教授はほかの大学教授のために書物を著し、やはり同業者をメンバーとする学術雑誌がそれらを書評する。我々は専門家が是認する方法で筆を執るので、我々の著作は彼ら以外には近づき難いものとなる。
この認識は新聞社から依頼されたフランス革命二百年に関する記事が難解すぎるという理由で没にされてしまったことをきっかけとして生まれた。つまり、ダーントン自身がアカデミズムの病に感染していることに気づいたのである。しかし、だからといって通俗的な口当たりのいい歴史を書けばいいというわけではない。なすべきことは、専門化しすぎて一般人には理解不能になった歴史研究も「人類の大きな部分との接触を目指している」ことを示すことである。
そのためにダーントンが選んだ方法のひとつが書評である。すなわち彼は「観念の社会史」「心性の歴史」「書物史」などの分野であらわれた最重要の専門的著作を複数取り上げ、まったく傾向や流派のことなるそれらの著作の方法論や論理展開などを各々(おのおの)検討して評価を下しながら、その分野独自の問題の所在を明らかにするという方法をとっている。たとえば「心性の歴史」では、フランス革命の心性は無名の犯罪者の失われた心の世界にあるとするリチャード・コッブの『警察と人民』と、統計図表や資料の定量分析などを駆使するアナール派のミシェル・ヴォヴェル『十八世紀プロヴァンス地方におけるバロック的敬虔(けいけん)と脱キリスト教化』を対極におき、これにアリエスの『死を前にした西欧人の態度』を加えて、それぞれの著作の射程と限界を鮮やかに浮き上がらせ、心性史の目指すべき方向を暗示する。またあまりにもフィールドが拡散しすぎて「熱帯雨林」のようになってしまった書物史では、書物の伝達サーキットの総体的モデルを図表化して提出し、そのモデルの中からもっとも未開拓な書籍販売業者の役割を取り上げ、どのように問題点を設定すべきかを実例で示してみせる。
もちろん論じられている著作や分野は極度に専門的なのだが、こうして整理されてみると、いままで焦点を結ばなかった難解な歴史書の群が、まるで解かれたパズルのように人間の顔をした像となってあらわれてくる。
久々に現れた「死者」を「生者」につなぐことのできる歴史書である。
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