書評

『柴玲の見た夢―天安門の炎は消えず』(講談社)

  • 2024/01/14
柴玲の見た夢―天安門の炎は消えず / 譚 璐美
柴玲の見た夢―天安門の炎は消えず
  • 著者:譚 璐美
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(310ページ)
  • 発売日:1992-09-00
  • ISBN-10:406205633X
  • ISBN-13:978-4062056335
内容紹介:
世界を震撼させた天安門事件。無謀とも思える大胆さと潔さで戦いに突き進んだ学生たちと、最後には彼らと反目しあった知識人。そして政府内の権力抗争が絡んだ末の「6月4日」の無残な結末。ニューヨーク、ロサンゼルス、パリ、北京と、砕け散った民主化運動の主人公たちを追って描く本格ノンフィクション。

天安門事件を「人間の事件」として再現

天安門事件の時、テレビや新聞の報道に注意していたが、腑に落ちないことが一つあった。広場の中心に立てこもっていた学生の指導部は、広場の周囲の市民や支援学生が次々に撃たれ倒されていったのに、どうして彼らだけ無事に脱出できたのか。

答えはこの本『柴玲の見た夢』(講談社)で知った。鎮圧軍が広場を包囲して銃撃を開始した直後、学生のハンストに合流していた知識人の周舵と台湾のシンガーソングライターの候徳健の二人は、平和交渉の意思を示すため赤十字の医師を伴い、包囲する戒厳軍の前線司令部に駆け付けて交渉する。その結果、戒厳軍は、広場の東南方向の包囲網を開き、学生が退去することを許した。

大学ごとにまとまった学生たちは校旗を掲げて五人一列の隊列をつくり……天安門広場をでると、そこで解散した。学生たちは長安街へ迂回して、広場が見える場所までもどってくると、その場を離れがたく留まっていたが、軍用車が彼らを見つけて発砲しながら容赦なく追いたててきた。路地ごとに立ちはだかる武装兵士に遮られ、銃口で誘導されるままに、学生たちは力なく北京大学へつづく遠い道のりを歩き出した。

著者は、中国生まれの新進女性作家で、慶応大学を卒業しており、事件当時は横浜にいてテレビで事態の推移を眺めていたという。日本にいてテレビで、という出だしの距離がこのノンフィクションを優れたものにしていると思う。一年して事件の衝撃が薄らいでから関係者の取材を開始し、克明に事実関係を洗い出して冷静に組み立てている。事件の始点から終点までが、学生側にかぎってだが、ほぼ正確に再現されていると言えるのではないか。こうした克明さと冷静さが、学生たちの「人間の限界に達するほどの悲しさ」と「人には言えないほど滑稽で、ぶざまなもの」の両方を描き出し、天安門事件を政治の事件だけでなく、人間の事件とすることに成功している。

まず、事件を「一人で」引き起こしたウアルカイシの天才的な政治的カンとヒロイズム。

改革派の胡耀邦の急逝後、その死を追悼する形をとって民主化を求める学生のデモが自然発生的に起こるが、しかし組織も指導部も生まれておらず、学生と知識人の多くは「誰かが何か大きいことをやってくれないだろうか」という漠とした期待を持っていたものの、政府を恐れて誰も先に立つ者がいない。

そうした中で、北京師範大学のまだ一年生のウアルカイシはとんでもない手に出た。キャンパスに一枚のビラを貼り、それには「北京臨時学生自治連合会はすでに結成された。ここに北京学生連合会(政府公認)の廃止を宣言する。四月二十一日午後九時より北京師範大学にて設立大会を開催する」と短く書かれていたが、実はそんな組織はまだどこにもなく、ウアルカイシの一人芝居にほかならない。そして、翌日、彼が時刻に遅れて(!)会場に出かけてみると、

集会にはなんと六万人も集まっていたのだ……ウアルカイシは一段高い欄干の上によじ登ってながめた。それから拡声器を両手に一つずつ持ち……「北京臨時学生自治連合会は、今ここに正式に発足した!」。地の底から轟くような拍手の音が沸き上がった。

こうした明朗快活でわがままなウアルカイシに、小柄でおとなしいが「彼女が人前に立っただけで、一瞬空気が張りつめたような雰囲気を醸し出す。実に不思議な魅力をそなえていた」女学生の柴玲が加わり、さらに「高校時代から少年詩人として一部で知られ、詩集も出版している」北京大学生の白夢などが入って、学生の中核が形成される。そして、一気に運動は盛り上がり、政府を追い詰めてゆくのだが、運動が大きくなるに従い、内部に亀裂が走るようになる。

一つは、着実に運動を広げようという知識人グループを、学生たちは、「あなたたちには文化大革命という経験がある。改革・開放路線でも得をした。今はそれなりの地位も名誉も獲得している。つまりは鄧小平の受益者世代じゃないか」(柴玲の発言)と言って切り捨てた。

もう一つは学生同士の勢力争いで、ハンスト持続を主張するグループと広場撤退を言うグループが分裂し、さらにウアルカイシは、西側マスコミのインタビューを受け続けるうちに学生たちの反発を買い、浮いた存在になってしまう。また柴玲と白夢も、有名な「ハンスト宣言」起草の栄誉をどちらが持つか、知識人との関係をめぐって対立し、別れる。

そして運命の日がやってきた。広場から北京大学に逃れた後の逃走、国外脱出についても詳しく書かれているが、面白いのは二年間国内に潜伏した張伯笠の例で、友人たちの助けで国外脱出の準備が整い、脱出直前に、自分が政治犯であることの証拠がないことに気づく。政治亡命のためには不可欠なのである。そこで、「友人たちは公安派出所を片っ端から当ってみた。だがもうどこを捜しても手配書がない。どうやら捨ててしまったらしかった。最後にある派出所の壊れた引き出しの奥から、ようやく一枚見つけ出してきたということだった」。

著者紹介によると、今後の活躍が期待されるノンフィクション作家ということだが、そのとおりだと思った。本年度の大佛次郎賞を『日本留学精神史』で得た厳安生といい著者といい、日本語で直接書く若い世代の書き手が次々に現れていることをよろこびたい。

【この書評が収録されている書籍】
建築探偵、本を伐る / 藤森 照信
建築探偵、本を伐る
  • 著者:藤森 照信
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(313ページ)
  • 発売日:2001-02-10
  • ISBN-10:4794964765
  • ISBN-13:978-4794964762
内容紹介:
本の山に分け入る。自然科学の眼は、ドウス昌代、かわぐちかいじ、杉浦康平、末井昭、秋野不矩…をどう見つめるのだろうか。東大教授にして路上観察家が描く読書をめぐる冒険譚。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

柴玲の見た夢―天安門の炎は消えず / 譚 璐美
柴玲の見た夢―天安門の炎は消えず
  • 著者:譚 璐美
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(310ページ)
  • 発売日:1992-09-00
  • ISBN-10:406205633X
  • ISBN-13:978-4062056335
内容紹介:
世界を震撼させた天安門事件。無謀とも思える大胆さと潔さで戦いに突き進んだ学生たちと、最後には彼らと反目しあった知識人。そして政府内の権力抗争が絡んだ末の「6月4日」の無残な結末。ニューヨーク、ロサンゼルス、パリ、北京と、砕け散った民主化運動の主人公たちを追って描く本格ノンフィクション。

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初出メディア

週刊朝日

週刊朝日 1992年11月6日

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