書評

『内村鑑三』(筑摩書房)

  • 2019/06/09
内村鑑三 / 関根 清三
内村鑑三
  • 著者:関根 清三
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(382ページ)
  • 発売日:2019-03-13
  • ISBN-10:4480016783
  • ISBN-13:978-4480016782
内容紹介:
戦争と震災。この二つの危機に対し、内村はどう臨んだか。聖書学の視点からその聖書読解と現実との関係、現代的射程を問う畢生の書。

内村に寄せる温かい眼差し

二代に亘(わた)る聖書神学の大家が、父君ゆかりの対象と取り組んだ浩瀚(こうかん)な大作である。悪かろうはずはない。しかし、読む前、実は一抹の危惧はあった。何せ著者は(あるいは「著者も」かしら)、国際的な盛名を馳せる聖書学の碩学(せきがく)である。心情的にのみ傾倒している評子とは違って、内村の信仰には学問的に大きな批判もあるのではないか。もともと内村の生きた時代においてさえ、また一度は内村に従った人々の間にさえ、批判を抱いて離れた人も多く、より広い世界からの批判者はもっと多数に上った。

その頃に比べて、現代神学は、文献学的な場面に限っても、多くの新しい成果が積み重ねられてきた。そうした立場からの、内村への批判は、特に著者のような専門家にとって、あって当然だろうし、実際、そういう種類の批判は、現代に目立ってもいる。しかし、評子の「危惧」は杞憂(きゆう)に終わった。著者の内村への眼差(まなざ)しは根本的に温かい。無論批判はある。しかし、著者は「批判」という一般用語と「クリティーク」とをはっきり区別し、後者には、「十分な吟味の上で、残すべきものを評価する」、という「肯定的」な定義を与える。それに準(なぞら)えれば、著者の内村に向かう姿勢は、常に「クリティカル」ではあっても、「批判的」ではないことになる。

内村について、論じなければならない論点は多数に上る。内村が生まれたのは維新前の一八六一年、以後、一九三〇(昭和五)年に没するまでの日本は、維新期の内戦、日清、日露、第一次世界大戦の対外戦争、大逆事件、関東大震災など、激動の時代でもあった。そうした歴史に沿って、内村の生涯も様々な曲折を経る。

神学的立場から見れば、彼のキリスト教信仰、およびその基礎となる聖書解釈(彼には膨大な雑誌論稿のほか、『四福音書の研究』、あるいは『ヨブ記講演』など、独立した書物としても、聖書の解釈を巡る著作が幾つかある)は、最も重要な話題になるだろうが、社会との関連でも、最も有名な「不敬事件」、あるいは日清戦争における「義戦論」とその後の「非戦論」、あるいは関東大震災における「天譴(てんけん)論」(東日本大震災における石原慎太郎氏の発言を思い出す人もいるかもしれない)など、社会的に物議を醸した論点だけでも、論じなければならないものは数多い。念のために書いておくが、『四福音書の研究 上・下』(筑摩選書、昭和二三年)は、独立の書物ではあるが、内村没後、長男祐之の妻美代子が、雑誌などの諸論稿を纏(まと)めて出版されたものである。著者は、それらの一つ一つを、周辺の問題から、内村自身の内面に至るまで、断簡零墨をも博捜しながら、丹念に掘り下げていく。特に、戦争(第二章の主題)と震災(第三章で主に扱われる)という二つの「災厄」に立ち向かう内村へ注がれる著者の目は鋭い。

日清戦争に対する内村の姿勢は、基本的に「義戦」論である。主として朝鮮を巡る「支那」と日本の争いという観点から、内村は、日本の態度に正義を見ようとする。この内村の立場は、現在では内外から、強い批判が寄せられていることを、著者は認める。いや、戦後処理の終わる(下関条約締結の)年の内村の言葉「<正義>をとなえた預言者は今や恥辱の中にあります」(英文)という言葉を引いて、むしろ内村自身がそれを認めていた、と解する。しかも、公的な自己批判に及ばない「頑固」さにも、重要な意味を認めようとする。そして内村は、その後自らの言動をもって、「反戦」あるいは「非戦」論へと転じる。日露戦争直前の彼の言葉「余は(中略)戦争絶対的廃止論者である」が引かれている。ここでは、内村が聖書信仰の立場からもそのことを主張しようとしている点に、著者は注目する。なお、著者は別の文脈で、イエスは平和主義者ではあったが、「国と国との間の戦争」を論ずる視野はもたなかった、という興味深い論点を提出していることを付け加えたい。さらにモーゼの十戒の通常「汝(なんじ)殺すなかれ」と訳されている「殺す」のヘブライ語は、本来「掟(おきて)に背いた不法な方法で人の命を奪う」意味だから、戦争における殺人などは含まれていない、と内村が解釈している点も、著者は見逃さない。

もう一つ「天譴論」に関しては、人々の被っている悲惨さに同情する点で人後に落ちないが、自分の義務はそれを表明することではなくて、災害が、現在の東京という虚栄の大都市の在り方に対する戒め、警告である、という点を読み取って、人々に、とりわけ政治家に伝えることにある、という意識からの言動であった、と解する。実は同じような解釈は、必ずしも内村に限ったことではなく、何人かの言論人が同様の主張をしていたことも触れられる。

不敬事件の詳説、そして何よりも大事な内村の聖書解釈について、専門家としての豊かで、本来的な見解に、残念ながら触れる暇がなくなった。それらの点は、本書と静かに向き合って、著者の周到な議論に耳を傾けて戴きたい。現代日本への静謐(せいひつ)なクリティークも聞こえてくるはずである。
内村鑑三 / 関根 清三
内村鑑三
  • 著者:関根 清三
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(382ページ)
  • 発売日:2019-03-13
  • ISBN-10:4480016783
  • ISBN-13:978-4480016782
内容紹介:
戦争と震災。この二つの危機に対し、内村はどう臨んだか。聖書学の視点からその聖書読解と現実との関係、現代的射程を問う畢生の書。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2019年5月5日

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