書評
『太平洋―詩集 1950-1962』(思潮社)
堀川正美の詩とGS
「現代詩の読者」にアンケートを出し「現代詩集ベスト100」を選んでもらうとするとどんな結果になるだろう。谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』や『定義』は当然トップ争いに顔を出すだろうし、個人名を冠した『吉本隆明詩集』や『谷川雁詩集』も当然上位に入るだろう。吉増剛造の『黄金詩篇』に清水哲男の『スピーチ・バルーン』に大岡信の『記憶と現在』に伊藤比呂美の『青梅』に岡田隆彦の『史乃命』に……と考えてゆくと、挙げるべき詩集はあまりに多い。けれど、アンケートの結果トップに躍り出るのは堀川正美の『太平洋』ではないだろうか。『太平洋』は、現代詩がいちばん読まれた時代にいちばん支持された詩集だったような気がする。極端な言い方をするなら、ある時代「現代詩」というものは堀川正美のような書き方をする詩のことだったのである。こんなことを思ったのは、堀川正美の詩集を読み返していたからだ。
さて、『太平洋』はさしずめ名作のオンパレードということになる。
「時代は感受性に運命をもたらす」という一世を風靡した名フレーズを冒頭に持つ「新鮮で苦しみおおい日々」、「きみの くちびるのうえに わたしの くちびるをあげよう わたしの くちびるのうえに きみの くちびるをくれたまえ」というフレーズを七度リフレインする「波」。
いま読み返してみると、特徴がはっきりとしているので驚く。繰り返しの多さ、コピーにでもなるような断定的な名フレーズの頻出、それからしょっちゅう使われる特定の単語、たとえば「こいびと」「われわれ」「くちびる」「くちづけ」「はげしく」「きみ」「やさしさ」「出発」。
こういう単語を使って詩を作るとすれば、その詩の背景は「青春」の一時期に限られる。もちろん、どんな詩人も「青春」について書く時期はある。しかし、この『太平洋』に収められた堀川正美の詩は、それ以外の時期が存在することを許さないかのような潔癖さに溢れている。というか、この詩を読んでいると「それ以外の詩を作ってはならない」という契約を読者との間に結んでいるような気がしてならない。
もちろん、その頃、高校生だったぼくはそんなことに気づくはずもなく、ただ憧れ、愛誦していたのだが。
そして、その頃、現代詩の隆盛と並行するように隆盛を迎えていたジャンルがある。GS(グループサウンズ)である。特徴的な恰好、特徴的なメロディー、そして特徴的な詩。GSは六〇年代半ばに出現し、七〇年代に入った頃には消滅していた。GSファンはGSに対して、成長して他の曲を歌うことを許さなかったのである。
ばら色の雲があたらしい河口とからまりあうところ
わたしはおまえをたずねてゆこう。
かきあつめたルビーはみんな首にかけてやろう
これはGS最大のヒット曲の一つ、ヴィレッジ・シンガーズの「バラ色の雲」……というのは嘘で、堀川正美の「夢のいれものにさわる」の一節。
「バラ色の雲」の方はこんな具合。
バラ色の雲と思い出を抱いてぼくはゆきたい海辺の町へ
いや、これだけではない。リフレイン、名フレーズ、そして「こいびと」「くちづけ」……といった特定の単語の使用。これらはすべて、GSの特徴でもあるのだった。もちろん、このことでなにかを結論づけようとは思わない。七〇年代以降、堀川正美は長い沈黙に入った。その理由について、いま久しぶりにぼくは考えている。
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