書評
『美術という見世物―油絵茶屋の時代』(筑摩書房)
新しい領分を切り拓いた明治美術研究
上野の山の上にはいろんな美術館があり、山の下にはいくつものポルノ映画館が集まっているが、同じ裸でも山の上で展示されると芸術として尊ばれ、山の下のはエロとして良識ある人々からは排除されることになっている。一方は、人間の心や精神を高める美術であり、もう一方は興味本位、欲望本位の見世物にすぎないというのである。今のわれわれは美術と見世物を分けて接しているが、明治期にヨーロッパの影響で近代美術が誕生した時にはそんなんじゃなくて、美術も見世物も文化もエロもグロもみんな混然一体となって生まれ出た、という今となっては隠しておきたいような事実を、この著者は克明な実証によって明るみに出してしまった。
たとえば日本洋画の開祖として美術の教科書に必ず登場する高橋由一の場合、彼の作品がどんな場に置かれ、人々の観賞に供されたかに著者は着目する。浅草の見世物小屋として名高い花屋敷(今もある)の一画に「油画茶屋」なるものがあって、司馬江漢などの日本洋画の草分け画家の作品と並んで展示され、お客はお茶をすすりながら眺めていた。五姓田(ごせだ)芳柳・義松父子の場合はもっとみじめで、浅草の侠客新門辰五郎の仕切る見世物小屋で口上付きで展覧されていた。
みじめとついつい書いてしまったが、当の本人たちは見世物と美術を区別しておらず、いたって平気で元気だったらしく、見世物小屋への出品の他にもヘンなことにいろいろ手を伸ばしている。五姓田父子がワーグマンから習い覚えたヨーロッパ流リアリズムの腕を振るった仕事の一つに「真画(しんが)」がある。カラー印刷ではないのが残念だが左の写真を見ていただけば分かるように、洋画としては相当なレヴェルに達してるが、なんとこれは和服の部分は量産しておいて、顔のところだけ顔写真をもとに描き加えたものだという。横浜にやってくる外国船の船員たちが、自分の顔写真や故郷の妻の写真を出すと、丸一日で仕上げた。今も観光地には顔の部分だけくりぬいた写真用のベニヤ板像があるが、あれの原型ともいうべき土産品だった。
草創期の洋画家たちは、日本の伝統的家屋との格闘も余儀なくされる。
日本人の生活に油絵が入り込もうとしても、日本建築の中での絵画の居場所はすでにきっちりと定まっていたからだ。床の間に掛軸、長押(なげし)の上に扁額、柱に柱絵、座敷には屏風や襖絵や衝立。
そこで由一などは油絵を屏風や衝立に仕立てあげ、なんとか伝統的家屋への侵入を企てる。美術の教科書でおなじみの例の「鮭図」もその一つで、柱に掛ける柱絵の形態を援用し、事実そのようにして観賞されていたという。
「見世物は美術展が生まれ育った家なのである。長じてのち生家をやみくもに忌み嫌い、その貧しさを恥じるのは、実は、近代社会の中で、日本人が美術にどのような地位を与えてきたかに密接にからんでいる。……生家は本当に貧しかったのかどうかを見つめ直すことから、本書を始めようと思う」という前口上ではじまる本書は、近年進境のいちじるしい明治美術研究の成果の一つであり、やや特異ながら新しい領分を切り拓いたと高く評価したい。
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