書評

『もののたはむれ』(文藝春秋)

  • 2020/05/22
もののたはむれ / 松浦 寿輝
もののたはむれ
  • 著者:松浦 寿輝
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(207ページ)
  • 発売日:2005-06-10
  • ISBN-10:4167703017
  • ISBN-13:978-4167703011
内容紹介:
なにげない日常の延長線上に広がる、この世ならざる世界。そこへ迷い込んでしまった人々の途惑いと陶酔の物語は、夢とも現ともつかぬまに展開していく。詩人、評論家、大学教授としても各分野で多彩な活躍を続ける芥川賞作家の処女小説にして、「新しい幻想文学の誕生」と絶賛を浴びた彫心鏤骨の連作集。

“俗”に身を寄せたリアリズム 本質的な詩人性を下町人間の“歯切れ”と“啖呵”で隠す

私自身、男の夢の中でしか生きられない“女精”を主人公にして、けっこう長い小説を書いた人間なので、こつみたいなものを知っているわけだが、“超常小説”はリアリズムが命だと思う。徹頭徹尾、リアリズムで押し通さないと、第一、読んでもらえない。夢みたいな話なんぞ作ってみても誰も相手にしてくれる気づかいはない。

この短篇集の創り手は、そのあたりのことは百も承知とおぼしい。舞台装置も道具立ても、主人公や語り手の心の動きも、いくつか例外はあるにせよ、リアリズムで貫いている。「そもそも陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の南側と言ったらいいのか、新宿御苑の東側と言ったらいいのか、大京町、左門町、住吉町、舟町、荒木町といった古風な町名が残っている新宿区のこの辺りの一角は」とか、「常磐線の南千住駅の裏手の細い露地が入り組んだ界隈は」とか、「有紀子は駅から来る途中のスーパーで買ってきた猫の餌のマグロの缶詰を開けて中身をありあわせの器に移してやり、三匹ががつがつと食べるさまをしばらく見物し」――おおむね、そういう調子だ。散文詩ふうでない、といってもよく、思いきり“俗”に身を寄せているといってもいい。

その上で、たとえば隆司君という“鬼太郎”を登場させる(「千日手」)。大京町、左門町、住吉町の界隈の、ある将棋倶楽部の常連で、小学生である。「“玉の早逃げ八手の得”って言うんだぜ。おじさん、知らないの?」などとませた突っ込みをかませるかと思うと、急に、夢の中で滝壺へ落ちた話を始める。「息がすっごい苦しくなってきて。そいで、とうとう軀が止まっちゃうの、滝になって落ちてく途中のところで。そのとき僕、このまま、ずうーっと、ずうーっと、ここで固まったまんまだってことがわかっちゃった。空中で、真っ逆様のまんまで。……永遠ってそういうことなんだよね」――おとなをぞっとさせる“鬼太郎”のせりふになり、最後に、「本当は僕はいないんだよ」と、止(とど)めを刺す。“俗”に身を寄せたリアリズムが手法だからこそ、読み手をみごと釣り込む現代の怪談になりおおせた一編といっていい。

わかりやすいので「千日手」を例に持ち出したのだが、実はこの短篇、出来映えは中ぐらいというしかない。もっと濃密で、特有のエロティシズムを底光りさせているのが、ほかにいくつもある。大体、サービスのいい本で、「一つ二つ」という短篇にはレスビアン・ラヴが匂うし、「夕占」は少年愛の物語だ。「中二階」となると、舞台はパリ、「きかん気な少女みたいに髪を揺らす仕草が実に愛らしい」マリー=ジョゼという女が主役で、“わたし”なる男はそのフランス女に“中二階”へ連れ込まれ、細い革紐で全身をハムみたいに絞り上げられたり、頭から尿をかけられたり、半死半生の“愛”を体験させられる。詩人の短篇小説集というにしては、語り口に本来の散文性があって、滑らか、かつ、達者だ。

私は昔から、ジュール・シュペルヴィエルの短篇が好きだった。「沖の小娘」や「ノアの方舟」を、初めはむろん翻訳で、のちにはフランス語で、くりかえし読んできた。どれも、悲劇性とユーモアが溶けあった宝石のような逸品揃いだが、どこからどこまで、まぎれもない詩人の制作物である。それに比べて、松浦氏は詩人ばなれしている、といってはたぶん不正確だろう。本質的な詩人性を、下町人間の“歯切れ”と“啖呵”で隠すのがうまい、とでもいうべきか。文体のことをいえば、息は長いほうで、読点が少なく、一種の饒舌体である。だが、そこに無数の“啖呵”が内包されていて、いざ会話となると、「持ってけ持ってけ、そんなもん」「強がったって駄目だよん」という調子で噴出する。そこが無類に楽しいといってよさそうな“快作集”だ。
もののたはむれ / 松浦 寿輝
もののたはむれ
  • 著者:松浦 寿輝
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(207ページ)
  • 発売日:2005-06-10
  • ISBN-10:4167703017
  • ISBN-13:978-4167703011
内容紹介:
なにげない日常の延長線上に広がる、この世ならざる世界。そこへ迷い込んでしまった人々の途惑いと陶酔の物語は、夢とも現ともつかぬまに展開していく。詩人、評論家、大学教授としても各分野で多彩な活躍を続ける芥川賞作家の処女小説にして、「新しい幻想文学の誕生」と絶賛を浴びた彫心鏤骨の連作集。

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