書評
『人にとってクルマとは何か』(大月書店)
「車に気をつけてね」
富山和子『自動車よ驕るなかれ』、宇沢弘文『自動車の社会的費用』などにつづくひさびさのヒット。『人にとってクルマとは何か』(杉田聡、大月書店)が出た。こうした自動車への健全で根源的批判はスポンサーのつかない単行本に期待するしかないのだろうか。著者は、年間一万人を凄惨(せいさん)な死に至らしめ、八十万人を傷つける自動車が、これほど野放しに走っていて社会問題とならないのはオカシイという所から出発する。このうち子どもの死者千人、お年寄り三千人。これも事故後二十四時間以内に死なないと、交通事故死には入らないというのはオドロイタ。さらに遺族、後遺症に悩む人や植物状態の悲劇も描く。こうした事故は個々のユーザーの責任とされるが、はたしてそうなのか。自動車は、そもそも事故が起こって当然の、システム上の欠陥商品であると著者はいう。東海道新幹線が一九六四年以来一人も死者を出さないのに、その間東名、名神高速では何万人も死傷者が出ていることに注意をうながす。
なかでもユーザーは、自動車が「利己心を拡大する道具」であるという章をこころして読むべきだろう。ガラスと鉄の固い殻をかぶり、視野は狭く、内と外は遮断され、なんの共感も生まない。そのクルマが小路に入って子どもの遊び場を奪い「そこのけそこのけ」とばかりに老人をクラクションで脅かし、騒音と発ガン物質入り排気ガスをまき散らす。
人に泥をハネてもあやまらない、一時停車を示すためのエンジンの空ぶかし、歩道への駐車など、クルマは大人の公徳心をマヒさせる一方「あそびません こわいくるまのとおるみち」「とび出すな 車はすぐにとまれない」といった倒錯した「公徳心」を教える。「そもそも道はたんなる往来の場でなく、人々の生活空間であり、コミュニケーションの場であり、子どもの遊び場であった」。このような「道の変質」の指摘も考えさせられる。
著者なりに現時点での「自動車の社会的費用」を計算すると、東京都で一台あたり七千七百九十万円、区部では一億一千八百万円という。
「文明の利器」として車を用いるにはどうしたらいいのか。車の絶対量規制、走行速度規制、生活空間からの分離、ソーラーカー、電気自動車など構造上の改善、運転者を専門家に限定、利他的目的(弱者救済)のみに使用を限定したらと提案している。公共交通の復権、自転車など「新陳代謝エネルギーによる移動」なども具体的に検討している。
子どもの出がけに「車に気をつけてね」と繰り返し、一日、交通事故の心配をしている母親の一人として、この本には説得される。
【この書評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする


































