書評

『焼けあとのちかい』(大月書店)

  • 2019/08/13
焼けあとのちかい / 半藤 一利,塚本 やすし
焼けあとのちかい
  • 著者:半藤 一利,塚本 やすし
  • 出版社:大月書店
  • 装丁:単行本(48ページ)
  • 発売日:2019-07-15
  • ISBN:4272408577
内容紹介:
開戦から次第に苦しくなる下町の生活、疎開、勤労動員、そして東京大空襲。猛火を生きのびた半藤少年は焼けあとでちかった――。

人間が人間でなくなる戦争の怖さ

八月十五日が近い。令和になって、はじめての敗戦の日がくる。天皇陛下も戦後のお生まれとなり、昭和の戦争は、どうしても遠のいた感がある。若い国会議員は酔っぱらって「北方領土は戦争で解決できないのか」と言った。不安がつのる。八十歳代、九十歳代の戦争体験者は、この風潮を心配されているのを、ひしひしと感じる。

令和の元号の考案者と目される万葉学の中西進氏は、広島から東京に引っ越したあと、同級生たちが原爆で焼き殺された。会えば、平和への思いを諄々(じゅんじゅん)と説かれる。女優で作家の岸惠子氏は、横浜空襲のなかを一人で逃げ回った。とめる大人をふりきって、防空壕を出て、樹に登り、かろうじて助かった。樹上から炎上する我が家をみて「宿題も燃えた。しなくていいと思った」と微笑まれたのを憶えている。

この絵本の文を書いた歴史家・半藤一利氏も、東京大空襲の猛火のなかを一人で逃げ、九死に一生を得ている。いまや、戦争体験者は、当時、未成年であった「戦争の子どもたちの世代」になっている。あの戦争を生き延びた長寿の方々が異口同音におっしゃる一言がある。この絵本の帯文に半藤氏がよせているこの言葉である。「世界中の子どもたちを、二度とあんなひどい目にあわせたくはない」。

上皇さま、美智子さまも「戦争体験を孫に伝えなくては」との思いが、お強いらしい。週刊誌『フライデー』の報道によれば、上皇さまの侍従を通じて、氏に一つのご依頼があったという。「悠仁さまに戦争の話をしてほしい」。つまり、半藤氏は悠仁さまの「戦争体験家庭教師」に呼ばれたわけである。ご進講は二時間半におよび、悠仁さまはまず「原爆の投下理由」などを質問されたときく。その際、半藤氏は、ご自身の東京大空襲体験を説明するために、この絵本の稿本を持参されたようである。全く体験せぬことがわかる人間は、よほどの天才である。ふつう、人間は体験しないことは理解できない。家族内に戦争体験者が一人もいない家庭が多くなってきている。「戦争は、なぜいけないのか」。それが、ピンとこない子どもが増えている。いや、現にそうなっているからこそ、「戦争で解決できないのか」などと軽々しく言う議員が出現したのである。戦争がいけない理由を悟るには、戦争が子どもから何を奪っていくのかを、はっきり絵本でみせるのが一番である。

本書にある半藤少年の体験は、あのころの東京の子どもたちの共通体験といっていい。まず「正義ある日本が絶対に勝つ」と大人に信じこまされる。戦争になると、おもちゃも新しい服も、白ごはんも、犬も猫も、動物園の象・熊・虎も、どんどんなくなる。疎開で、親や家族と離れ離れになる。そして、恐ろしい敵の軍用機に追い回され、爆撃機に空襲されて、火の海の地獄に一人で投げ込まれる。必死で逃げ、川に飛び込む。運よく船に救いあげられて助かる。船上から、火だるまの人間をみてしまう。死体の浮いた川の水を吐き出す。焼け跡は焼死体だらけ……。

「戦争になると、人間が人間でなくなる。死体をみても何も感じない。心が動かなくなる」と半藤氏。自分が人間性を失っている自覚もなくなるのが戦争の本当の恐ろしさだという。空襲を生き延びて、半藤少年は、この世に「絶対」はないと悟り、もう二度と「絶対」という言葉を使わないことを誓う。しかし、最後にあえて、半藤氏は、子どもたちに、恐い顔で、こう語りかけ、この絵本は終わる。「戦争だけは絶対にはじめてはいけない」。
焼けあとのちかい / 半藤 一利,塚本 やすし
焼けあとのちかい
  • 著者:半藤 一利,塚本 やすし
  • 出版社:大月書店
  • 装丁:単行本(48ページ)
  • 発売日:2019-07-15
  • ISBN:4272408577
内容紹介:
開戦から次第に苦しくなる下町の生活、疎開、勤労動員、そして東京大空襲。猛火を生きのびた半藤少年は焼けあとでちかった――。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2019年8月4日

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