はてな? そうか、なるほど 面白い
もう月が変わったけど、お正月は一家で絵双六(すごろく)や福笑いをたのしみましたか。お正月遊びは字を知らなくても絵ばかりなので、大人も子供も一緒に遊べますね。そうだ、こんなとき判じ絵があれば、もっとたのしかったのに。一枚の刷りものにへんてこな絵がいっぱい散らしてある。「あ」の字の男が「さ」の字の屁(へ)をして臭いと鼻をつまんでいる人がいるから「あ・さ・くさ=浅草」。本の顔の人が鵜(う)の顔の人と碁を打っているのは「ほん・ご・う=本郷」。蝦蟇(がま)がデンと腰を据えてお茶を点(た)てている。何かと思えば「茶釜(ちゃがま)」だって。お相撲さんばかりの判じ絵、草花の、虫の、道具の、音楽(清元、常磐津<ときわず>)の判じものまである。
象が門をくぐりかけて半分で詰まってしまった。それで半蔵(象)門。これは字が読めない人のための実用的な判じ絵地図。お百姓さんのためには「南部絵暦」。判じ絵で季節の交代が早わかりしてそのまま農暦になる。信心深い人には法華経を絵解きした「絵文字経」。本書にはそんな面白い判じ絵をどっさり集めて謎ときとしてある。
判じ絵は子供や江戸庶民が気軽に遊んだ他愛(たわい)のない絵遊びにはちがいないが、裏には江戸人の地口(じぐち)好き、洒落(しゃれ)好きの言語活動が、猛烈に回転している。いわば(駄)洒落ずくめの江戸裏文学だ。だから山東京伝が判じ絵応用の小紋デザインを考案したり、十返舎一九が影絵ずくめの絵本『於都里綺(おつりき)』を出版したりした。
近代の活字活版文化の受容以後、全頁(ページ)活字の味気ない出版物ばかりが本らしい本と見なされてきた。しかし活字専一のそんな「知」のメディアは、判じ絵のような「無知の知」のそれに受太刀(うけだち)になりはじめてはいないか。ルイス・キャロルが絵文字ずくめのレターをアリスちゃんに書き送ったのは十九世紀末の話。今時のアナログおじさんは仲良しの小学生の絵文字・顔文字ずくめのメールにてこずっている。ハテな、と首をかしげ、ようやく夕方に「あッそうか」。するとその日のお酒がめっぽううまい。うれしいじゃありませんか。