前書き

『たたら製鉄の歴史』(吉川弘文館)

  • 2019/09/19
たたら製鉄の歴史 / 角田 徳幸
たたら製鉄の歴史
  • 著者:角田 徳幸
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(237ページ)
  • 発売日:2019-05-17
  • ISBN:4642058842
内容紹介:
生産地の移動や技術革新からその発展を探り、「海のたたら、山のたたら」の視点で多様性を解明。産業や暮らしを支えた実像に迫る。

たたらのイメージ

もののけ姫にみるたたら

『もののけ姫』、宮崎駿監督のこのアニメ映画は、今ではたたらの代名詞である。森の木々を伐り倒し、山を崩して製鉄を続けるたたら、たたらを率いるエボシ御前、シシ神の森を守るために戦う犬神モロ、もののけ姫サン。そして、両者がともに生きる道はないのかと苦悩するアシタカ、それぞれが生き残るために戦う物語は壮絶だ。人間と自然の調和をテーマとした物語の中で、たたらは自然破壊の象徴として描かれる。モチーフとして、たたらが選ばれたのは、子供の頃、学校帰りに鍛冶屋で道草をしていたという宮崎監督の思いがあったらしい。

『もののけ姫』の時代設定は、室町時代、火砲の一種である石火矢(いしびや)が出てくるので、戦国の頃だろう。物語に登場するたたらは、実に細かく描写される。たたら村は、山深い奥山にあって、その周りは木の柵で囲われる。アシタカが最初にこの村を訪れるシーンでは、山を崩して原料の砂鉄を採取する鉄穴(かんな)流しや、燃料となる木炭を焼く炭窯が見える。製鉄炉は、高い吹き抜け天井をもつ大きな建物の中にある。その周囲には鍛冶屋が並び、職人が鉄を打ち延ばす。エボシ御前ができた鋼(はがね)を吟味する場面では、手にした木札に「玉鋼上」の文字が映し出される。こうしたシーンは、たたら製鉄をテーマにした博物館である島根県安来(やすぎ)市和鋼(わこう)博物館、日本で唯一現存するたたらである雲南市吉田町菅谷鈩(すがやたたら)などの取材を通して作り上げられたという。

いっしん虎徹

長曽祢虎徹(ながそねこてつ)は、よく切れる刀、業物(わざもの)を打ったことで評価が高い江戸時代前期の刀匠である。もともと越前の甲冑師で、江戸に出て刀鍛冶となったが、他の刀匠より抜きんでた業物が打てたのは、地鉄(じがね)の良さにあったという。この長曽祢虎徹をモチーフにしたのが山本兼一の小説『いっしん虎徹』である。

山本は、虎徹が越前を立ち江戸へ向かう前、慶安二年(一六四九)正月に奥出雲のたたらを訪れる場面から物語をはじめる。船で出雲へと向かった虎徹は、安来湊に降り立ち、鉄問屋の仲立ちで仁多郡の鉄師(たたら経営者)櫻井家のたたらへとおもむく。そこで虎鉄がまず目にしたのは、雪に埋もれた大屋根、高殿(たかどの)と呼ばれる製鉄場の建物だ。その中央には製鉄炉があり、村下(むらげ・技師長)が砂鉄、炭焚(すみたき)が炉に炭をくべ、番子は鞴(ふいご)を踏み続ける。炉の底には、三日三晩をかけて鉧(けら)、鋼を含んだ巨大な鉄塊を育てる。村下は虎鉄に「こげに大きなたたらをこしらえたのは、初めてじゃけぇ、よう分からんが、五百貫から七百貫くらいのがでけるじゃろうな」と語る。こんなに大きなたたらで製鉄をしたのは今回が初めてで、約一・九~二・六㌧の鉧ができるだろうというわけだ。

虎徹は、櫻井家の当主三郎左衛門直重(なおしげ)にも会う。直重は、虎徹のライバル越前四郎右衛門康継(やすつぐ)が鍛えた刀を見せ、「世の中には、むかしの刀を古刀の名刀のと、ありがたがる侍が多いが、わしにいわせれば、いまの刀がずっと鉄(かね)がよい。大きなたたらで真砂砂鉄(まさこがね)を精錬した鋼は、天衣無縫の光をはなつけんな」という。虎徹は、備中青江(あおえ)の古刀こそ地鉄(じがね)に深みと味わいがあると応じ、両者の“鋼”談義は続く。備中青江は、岡山県倉敷市付近を拠点とし、鎌倉・南北朝期に栄えた刀工の一派だ。

鉄穴流しは、中国山地に広がる風化した花崗岩に含まれる砂鉄を採取する作業である。砂鉄は母岩中に一%前後しか含まれないので、砂鉄と砂をより分ける選鉱作業が必要となる。虎徹は、直重の案内で鉄穴場に行き、高さ四、五丈(一二~一五㍍)もある崖を打鍬(うちぐわ)で掘り崩す鉄穴師(かんなじ)たちや、そこから続く水路の下流で底に溜まった砂鉄をすくう男たちを目にする。直重は「その砂鉄(こがね)をたたらで吹いて鋼にするのじゃ」と、この砂鉄が鋼の原料であることを明かした。

砂鉄のみち

司馬遼太郎の人気シリーズ『街道をゆく』には、司馬が金達寿(キムダルス)、李進熙(リジンヒ)らと出雲のたたらを訪ねた「砂鉄のみち」と題する紀行文がある。司馬らは、島根県安来市和鋼記念館(当時)、奥出雲町鳥上木炭銑(とりかみもくたんせん)工場、菅谷鈩などを巡り、出雲随一の鉄師であった田部(たなべ)家の当主で島根県知事をつとめた田部長右衛門のもとも訪れる。その道中記の端々には様々なエピソードが織り込まれているのだが、そこに司馬の“たたら観”が垣間見え面白い。

まず、「東アジアの製鉄は、ヨーロッパが古代から鉱石であったのに対し、主として砂鉄によった」とし、東アジアの製鉄原料は砂鉄が一般的であったとみる。その上で、「砂鉄を吹いて鉄にする技術は、おそらく古代、朝鮮半島からその技術者とともに出雲などにやってきたものだろう」と述べる。「森を慕う韓鍛冶(からかぬち)」という一節では、古代製鉄を始めたのは新羅からの渡来集団で、製鉄原料である砂鉄を採るため鉄穴流しをしたり、山林を伐採して木炭を焼いたりした。そのため、雨季には洪水が起こって田畑を流し、あるいは水路の水に土砂が混じり稲田が埋まった。神話の中に登場する八岐大蛇(やまたのおろち)は、鳥上(とりかみ)山にいたこのような砂鉄業者を象徴するものであり、脚摩乳(あしなずち)ら農民の苦境を救ったのがスサノオだというのが出雲の人々の解釈だとする。

一方、「スサノオが新羅から出雲に渡って直ちに斐伊(ひい)川の上流鳥上峯をめざして直行したと伝えるのは、この神を奉斎した新羅系の一団は、所謂、『韓鍛冶』の一団で、やはり砂鉄を求めて移動したものではなかったか」という古代史家水野祐の説を引用する。そして、スサノオに助けられたのは農民ではなく、古くからここで砂鉄をとっていた集団であり、八岐大蛇は砂鉄を掠奪したり交易を強要したりする海人部族だったという水野の意見を紹介している。

韓鍛冶の話は、前述の『いっしん虎徹』にもあり、直重をして「その者たちこそ、出雲の砂鉄(こがね)を見つけた手柄がある。韓の鍛冶がわたってこねば、だれも出雲の豊饒に気づかないままだったかもしれんけぇな」といわしめる。これは司馬の影響かもしれない。

たたらのイメージ

『砂鉄のみち』は、古代製鉄が新羅からの渡来集団によってもたらされたものとみる。その一団は一〇〇人以上で、「鉄穴流し」や森林伐採をして周辺の農民とも軋轢(あつれき)が生じるほどの規模で製鉄を行ったとする。

『もののけ姫』は、戦国時代の設定で、高い吹き抜け天井をもつ大きな建物に製鉄炉があり、周囲では「鉄穴流し」や炭焼が行われる。たたらは、山深い山中で、まとまった一つの集落を構成し、木柵で囲われた姿で描写される。

『いっしん虎徹』のたたらは、江戸時代前期の櫻井家が舞台である。大規模な鉄穴流しが行われており、高殿では三昼夜にわたる操業によって製鉄炉の中に鋼を含んだ鉧が作られる。刀匠長曽祢虎徹が求めたのは「鋼」であり、櫻井直重が虎徹に見せたのは「冴えて輝く鋼」で作られた越前四郎右衛門康継の刀であった。

これら三作品は、それぞれ異なった時代のたたらを題材としながらもイメージには共通性がある。それは、山容を変えてしまうほど大規模な鉄穴流しが登場する点である。また、『もののけ姫』の高い吹き抜け天井をもつ大きな建物は高殿、たたらが一つの集落として構成されるのは山内(さんない)集落を思わせる。鉄穴流し・高殿・山内は、いずれも江戸時代に成立したものだ。『砂鉄のみち』、『もののけ姫』は、江戸時代以前の「たたら」を描くのだが、結果的にはよく知られた江戸時代のたたらが重なって見える。

『いっしん虎徹』が描写するたたらの姿は、日本刀の材料となる鋼の製錬である。現在、唯一たたらの操業を行っている島根県奥出雲町の日刀保(にっとうほ)たたらは、美術刀剣を打つ刀匠に、その材料となる玉鋼を供給する目的で、公益財団法人日本美術刀剣保存協会が運営する。たたらが日本刀制作に使う鋼を生産するというイメージは、あたかも日刀保たたらに重なるようだ。


たたらの実像を求めて

たたら製鉄の大きな特色は、砂鉄を原料とするところにある。しかしながら、わが国最古の製鉄遺跡である岡山県総社市千引(せんびき)カナクロ谷遺跡で使われた原料は鉄鉱石であった。この遺跡では、六世紀後半~七世紀初め頃と考えられる計四基の製鉄炉が発見されており、最も先行する四号炉の周辺では小割された鉄鉱石が出土したほか、鉄塊の分析から鉄鉱石が製錬されたことが明らかである。また、韓国では一九九〇年代以降、多数の製鉄遺跡が発掘されているが、日本の古墳時代に相当する三国時代の製鉄炉では砂鉄製錬は明らかになっていない。日本列島の製鉄技術は、朝鮮半島の影響を受けて成立したとみられるが、彼地の砂鉄製錬法がそのまま伝播し広がったとはいえないのである。

たたらの描写で必ず登場するのは、大屋根をもち、中央に製鉄炉を置いた高殿だ。史料に「高殿」が見えるのは新しく、一八世紀以降のことである。その典型例は、唯一現存し、重要有形民俗文化財に指定されている菅谷鈩の高殿で、一辺一八・三㍍・高さ八㍍の規模をもつ。高殿がいつ成立したのかは明確でないが、出雲仁多郡の鉄師絲原(いとはら)家文書には、万治二年(一六五九)の史料に高殿の柱を示す「押立」の表現があり、その存在がうかがわれる。一七世紀後半代の島根県奥出雲町隠地(おんじ)鈩一号炉の発掘調査では、押立柱に当たる四本の柱穴と、その外側に円形に巡る柱穴列が確認されており、基本構造は高殿と同様である。ただし、その規模は径一二㍍ほどで、一八世紀以降の高殿と比較すれば小規模だったようだ。

では、たたらで作られたのは、日本刀の制作に使われた鋼だったのであろうか。製鉄炉で生産される鉄には、炉の基部に設けられた孔から炉外に抽出される銑(ずく・銑鉄)と、炉底にできる大きな鉄塊、鉧(けら)がある。鉧は、鋼のほか銑や歩鉧(ぶげら)が一緒に固まったもので、これを打ち割って、鋼造(かねつく)りと呼ばれる選別作業によって鋼・銑・歩鉧に分けられる。つまり、鋼は鉧の中にしかできないが、銑は鉧にも含まれるし、炉外に抽出もされたのだ。

高橋一郎によれば、絲原家に残る勘定書に「釼(はがね)」が登場するのは、明和七年(一七七〇)のことだという。この年の雨川(あめがわ)鈩(鉄穴(かんな)鈩:島根県奥出雲町)の生産内容は、一代(ひとよ・操業一回分)で銑三・三㌧・歩鉧〇・五㌧・鋼〇・三㌧である。その割合は、銑八一%・歩鉧一二%で、鋼は七%にすぎない。これに変化があったのが文政九年(一八二六)で、鉄穴鈩の生産内容は銑二・四㌧、歩鉧〇・九六㌧・鋼一・〇八㌧となる。銑五四%、歩鉧二二%で、鋼は二四%に増加する。これ以後、鉄穴鈩では銑五割・鉧三割・鋼二割程度で生産が推移している。

出雲の仁多郡は、鋼生産に向く真砂(まさ)砂鉄が産出することで知られる。そこを拠点とする絲原家のたたらで鋼が安定的にできるようになったのは一九世紀以降だったのである。それでも鋼は生産量の二割あまりしかできておらず、残りの七~八割を占める銑と鉧は、大鍛冶場で鉄製品の地金(じがね)となる割鉄に加工された。明治五年(一八七二)の絲原家における鉄類販売量は、鋼二八・六㌧(二〇%)・鉧一〇・二㌧(七%)・割鉄一〇五・四㌧(七三%)である。販売額では、鋼一二七〇円(一四%)、鉧二八一円(三%)、割鉄七二六七円(八三%)であった。出雲のたたら経営者は、その多くが割鉄の原材料となる銑・鉧の生産に重点をおき、販売量の七五%以上が割鉄であったことが指摘されている。たたら製鉄の主製品は、鋼であったとはいえないのである。

たたらのイメージは、映画や文学作品に描かれた姿から語られることが多い。しかしながら、歴史上のたたらは、そのイメージとはかなり異なるものであった。本書ではまず、たたらがその技術的な到達点である近世たたら製鉄まで歩んだ道のりをたどる。続いて、とかく画一的なイメージがあるたたらを「海のたたら、山のたたら」という視点から見直し、多様性を明らかにする。そして、わが国の近代化において、たたらがどのような役割を果たしたのか考えることで、たたら製鉄の実像に迫りたい。

[書き手] 角田 徳幸(島根県埋蔵文化財調査センター調整監)
たたら製鉄の歴史 / 角田 徳幸
たたら製鉄の歴史
  • 著者:角田 徳幸
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(237ページ)
  • 発売日:2019-05-17
  • ISBN:4642058842
内容紹介:
生産地の移動や技術革新からその発展を探り、「海のたたら、山のたたら」の視点で多様性を解明。産業や暮らしを支えた実像に迫る。

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