書評

『黒い豚の毛、白い豚の毛: 自選短篇集』(河出書房新社)

  • 2019/09/21
黒い豚の毛、白い豚の毛: 自選短篇集 / 閻連科
黒い豚の毛、白い豚の毛: 自選短篇集
  • 著者:閻連科
  • 翻訳:谷川 毅
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(272ページ)
  • 発売日:2019-07-25
  • ISBN:4309207731
内容紹介:
破格の想像力で信じがたい現実を描き、ノーベル賞有力候補と目される作家の、叙情とユーモア溢れる9つの物語。著者自選短篇集。

仲間たちへの鎮魂の音符

劉根宝は呉家坡(ごけは)の貧しい農民で、二十九歳になってもまだ独身。劉という名字は村に一軒しかなく、親類縁者が助け合う村落共同体では立場の弱い存在だ。彼は生まれつき軟弱で、若い女性にも下目に見られている。

そんな意気地のない男だが、ある日、帰宅したなり、父親に刑務所に入るつもりだと言い出した。驚いた両親がわけを聞くと、何でも鎮長(町長)が運転する車が人を轢いてしまったから、替え玉になって、警察に出頭したいという。町長に貸しを作れば、その力で貧困から脱出し、嫁がもらえるかもしれない。

仲介する村の肉屋さんに行くと、何と身替りになりたい人はほかに三人もいる。それぞれ目的は違うが、いずれも町長の力を利用して、窮地を脱する機会をつかもうとしている。困った肉屋の主人はくじ引きで選ぶことにした。見事にはずれた劉根宝は落胆しながらも、起死回生の秘策を考え付いた。そこから物語はがらりと反転し、読者は不意打ちを喰わされることになる。

表題作をはじめ、九つの短編はいずれも異彩を放つ作品である。共通しているのは農民たちの数奇な運命か、彼らが目にした不可思議な世界である。

「きぬた三発」の石根子も劉根宝と同じように、根っからの正直者である。どんなにいじめられても、虐げられても反抗しない小心者でもある。しかし、ひょんなことで運命が狂い、彼は思いがけないことを仕出かしてしまう。それは明確な意図にもとづく行為というより、あたかも雨が降り、風が吹くような自然現象のようである。そこには現代人とほど遠い、自然人としての生き方がある。

村社会の弊習も政治の根腐れも、閻連科の手にかかると、たちまちマジックミラーに映し出された世界と化してしまう。そこには、農民たちの底なしの悲しみ、煮えたぎる怒り、やるせない無力感が、恨めしさに縁どられた言葉の岩漿(がんしょう)となって噴出している。

もっとも心が揺さぶられたのは「奴児(どじ)」。主人公の少女は遠い親戚が飼育している仔牛に心を奪われ、その仔牛の好きな草を与えるのを日課としている。毎日せっせと草を刈り、金を貯めたら仔牛を譲り受けるのが、彼女の最大の夢である。

少女の目には、貧しい寒村は絵のような美しい世界である。たとえ一面が雪に覆われても、枯れ草や木の枝はみな色彩豊かな生き物に見え、山の斜面も畑もひいては石ころも香(かぐわ)しい匂いを漂わせている。水晶のように心の清らかな少女だが、厳しい現実の前で、自然人として生きていくのは難しい。

この短編集はこれまで二十年のあいだに発表された作品から選りすぐったものである。作風や作家の心境の変化、過ぎて行く時代はいきおい個々の作品に深い足跡を残している。組織の不条理、洗脳や人間改造、猛獣型資本主義に巻き込まれた山村、信仰問題に投影される社会の迷走など、テーマはさまざまだが、どの物語も悲しくてせつない。

閻連科において、文学の言葉は羽毛のように軽く散ってしまった命のための鎮魂歌であり、仲間たちを過去の海に残してきたことに対する後ろめたさが織りなす懺悔の音符である。彼は自分が農民の子であり、千年に一度しかめぐってこない機会を手にした幸運児であることを忘れていない。過ぎさる歳月の問いかけに応答しようと、彼は灰になった記憶を彩色された言葉の糸で繋ぎ合わせ、いまだに古い土地にへばりつく人々に捧げるために、今日も書きつづけている。
黒い豚の毛、白い豚の毛: 自選短篇集 / 閻連科
黒い豚の毛、白い豚の毛: 自選短篇集
  • 著者:閻連科
  • 翻訳:谷川 毅
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(272ページ)
  • 発売日:2019-07-25
  • ISBN:4309207731
内容紹介:
破格の想像力で信じがたい現実を描き、ノーベル賞有力候補と目される作家の、叙情とユーモア溢れる9つの物語。著者自選短篇集。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2019年9月1日

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