書評
『世阿弥』(吉川弘文館)
緩急自在に描く日本初の「芸術家」像
「初心忘ルベカラズ」の言説で知られる世阿弥の研究は、これまで主に芸能史や国文学の研究者によって担われてきた。歴史の研究者が世阿弥に触れるときは、決まってその周辺にのみ言及するのが常であり、正面から扱うのを避けてきた観さえある。それは分厚くも、また詳細な研究がこれまでになされてきていて、それらの研究を一つ一つ吸収しつつ、さらにその上で新たな研究を展開するのはとても難しいという研究状況によっている。
しかしそれでよいわけではない。この稀有な芸術家を歴史的にきちんと位置づけることは極めて重要だからである。ここでわざわざ「芸術家」と称したのは、世阿弥こそがその言葉に値するはじめての日本人だったからである。
世阿弥は単なる能の役者・作者ではなかった、能に関わる多くの著作を残し、能を芸術の域にまで高めたのであり、本書はその世阿弥の活動と芸術に関して、真正面から取り組んだ人物伝である。
まずは世阿弥の活動を前期・中期・後期にわけてたどってゆくが、ここで重視されているのは室町将軍との関わりである。前期には将軍足利義満がパトロンとなり成長していった。世阿弥の言葉を借りれば「時分ノ花」の時期に相当する。
中期になると将軍義持が目の肥えた批評家としてのぞみ、その審美眼に堪えることができるような努力のなかから多くの著作が生まれ、能は芸術へと昇華した。いわば「秘スレバ花」の時期に相当しようか。
しかし後期には将軍義教が弾圧者として立ちはだかり、ついには佐渡に流され、生涯を終えることになる。パトロン・批評に続き、弾圧があったということは、その存在がいかに社会的・文化的影響が強かったのかをよく物語るもので、それこそ芸術家といわれるにふさわしい。
著者はこうした世阿弥の動きを多くの研究を的確に整理しながら述べた後、能作者としての世阿弥の作能について触れ、続いて『風姿花伝』などのような伝書という形で伝えられてきた世阿弥の芸論について紹介・解説して、世阿弥芸術の大概を語る。
この付近は最も研究が分厚いところではあるが、その研究を十分に咀嚼して、全体像を提示した後、最後の第六章で世阿弥と禅との関わりについて説き及ぶ。
この章こそ禅宗史研究者である著者が最も力をこめて記したところで、これまで曹洞宗との関わりについては触れられることはあっても、広く禅との関わりについて論を展開したものはなく、ここで世阿弥の芸術論が大きく展開していった理由を明らかにしている。
まず伝書に見える表現から禅宗の影響を丹念に探り、続いて世阿弥が娘婿の金春禅竹(こんぱるぜんちく)に宛てた二通の自筆書状から禅との関わりを読み取る。さらに京都相国寺僧の桃源瑞仙が著した『史記抄』に見える世阿弥に言及した記事から、禅僧との交遊のあり方を探ってゆく。
総じて世阿弥の禅との関わりにおいては、『維摩経(ゆいまぎょう)』の理解が極めて重要な意味をもっていたことを指摘している。
本書の時にゆったりと、時には詳しく、緩急をつけた叙述からは、世阿弥の存在とその歴史的な位置づけが鮮やかに浮かびあがってくる。世阿弥以前、以後についても、聞きたかったところであるが、それはまた次の機会を待つことにしよう。
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