書評

『今戸心中―他二篇』(岩波書店)

  • 2020/01/23
今戸心中―他二篇 / 広津 柳浪
今戸心中―他二篇
  • 著者:広津 柳浪
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(230ページ)
  • 発売日:1991-03-05
  • ISBN-10:4003100816
  • ISBN-13:978-4003100813
内容紹介:
「今戸心中」は,鏡花,一葉らとともに当時新進作家として注目されていた柳浪(1861‐1928)の名を決定的たらしめたものである.花柳の巷に華咲く男女の恋愛心理の機微をうがったもので,巧みな会話と描写によりこの世界の人間像を心憎いまでに書き表わしている.一葉の「にごりえ」とともに当時の悲劇小説の代表作.解説=広津和郎

『変目伝』

ヘメデン?! 思わず私は聞き返した。

ニカ月ほど前、ある雑誌の仕事で久世光彦さんにお会いしたときのことだ(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1996年頃)。久世さんが「広津和郎のおとうさんの広津柳浪の小説で、ヘメデンというのが面白かったですよ」と言った。そのヘメデンという言葉の響きが、まず、おかしくて笑ってしまったのだ。アイアンメイデンっていうバンドがあったよなぁ、CMにオノデンぼうやっていうのもあったよなぁ、志ん生の落語「寝床」のマクラの部分にガッデンという言葉も出てきたよなぁ、あれはヘンだった……と。

久世さんの話によると、それは変な目をした男の話で、それで『変目伝』なのだという。あまりにもズバリというか、そのまんまのタイトルだ。何だかよくわからないが面白そうな感じ――怪奇ロマン的な匂いがする。

今すぐ読みたいという思いに駆られ、翌朝、書店に飛んで行った。岩波文庫で出ているという話だったのだが、全然見つからない。目録にも出ていない。不思議。

古本マニアの友人に問い合わせてみると、岩波文庫は年二回ほど読者のリクエストにこたえて珍しい本を復刊するのだが、そのときだけの出版で、目録に入らないものもあるのだという。広津柳浪作品は二、三年前に『今戸心中』というタイトルで出版されたが(『今戸心中』と『変目伝』と『雨』の三作が収録されている)、その後目録には入っていないし、店頭にも出ていないという(そのときサッと買っておかないとダメなわけね……)。

友人は「僕の持っている『明治文学全集』の広津柳浪の巻に『変目伝』が入っているから、岩波文庫版のほうはあげますよ」という。うれしい。ようやっと入手できた。

わくわくして問題の『変目伝』から読む。冒頭いきなり軽く驚く。変な目をした男の伝説伝記、と思い込んでいたが、そうではなかった、変な目をした伝吉という男の話、それで『変目伝』だったので。

伝吉は二十七歳の独身で、母親といっしょに神田淡路町で暮らしている。洋酒の卸小売店を営み、派手ではないが手がたい商売をしている。子どもの頃に火傷をし、目のあたりにヒキツリが残っている。それで人びとは、陰では「変目伝」と呼んでいるのだ。

伝吉の外見の描写が、えらく念入りだ。

伝吉が我と我身を歎(かこ)てるが如く、身材(せい)いと低くして、且つ肢体(すべて)を小さく生れ付きたり。ゆきは六寸五分、丈(たけ)は三尺一寸、其にても尚ほ踵を掩(かく)すばかりなる着服(きもの)は、羽織にも好みて赤出の唐桟縞(たうざんじま)を用ゐ、常に手を懐(ふところ)にし、駒下駄突掛(つツか)けて、ちよこちよこと小走りに歩める様、往来(ゆきき)の人目を惹けば、口悪善(くちさが)なき童等(わらべら)は、蜘蛛男又は侏儒(いっすんぼふし)と綽名(あだな)し、彼を見るごとに、興ある事にして打ちはやす。顔は丸顔にして、鼻は形よく、口元に愛矯あれども、左の後眥(めじり)より頬へ掛け、湯傷(やけど)の痕ひッつりになりて、後眥(めじり)を竪に斜めに釣寄せ、右の半面に比ぶれば、別人なる如く見ゆ。此にぞ、変目伝の綽名(あだな)は附けられける。態とらしく笑(ゑみ)を含めば、厭(いと)ふべき目付いとゞ気昧悪く、女童(をんなことも)など親しまん様なし。されど、口に毒を含まず、気軽に而も人と争はねば、何方(いづれ)にても憎きものにはされず、物淋(ものさみ)しき折など、遊びものとして待たるゝ事もありけり。

ちょっと長い引用になってしまった。「ゆきは六寸五分(=一九・五センチ)、丈は三尺一寸(=九三センチ)」というのは具体的だ。確かに思い切って小さい。「右の半面に比ぶれば、別人なる如く見ゆ」というところ、映画『バットマン・フォーエヴァー』の怪人トゥー・フェイスを連想する。そうだ、この『変目伝』は、あまりにもあまりにもティム・バートン好みのお話である(『バットマン・フォーエヴァー』ではティム・バートン監督は製作に回っていたが、その前の『バットマン・リターンズ』では監督にあたっていて、これがシリーズ中では最高傑作だった。この監督はつねに「異形の純情」に執着している)。

胸がヒリヒリと痛む。純愛物語と言っていいだろう。

伝吉は早くから、「我は所詮(しょせん)独身(ひとりみ)すべきものとして、世には生れ出でしなるべし、女を見返りもせまじと決心」していて、ひたすら親孝行に励んでいたが、取引先の仁寿堂の主人の妹のお浜に恋してしまう。それを察知したお調子者の定二郎という男が、お浜との仲を取り持ってやると伝吉をだます。

伝吉は「まさか」と思いながらも喜び、定二郎を吉原でたびたび接待する。そのために、やがて借金に追われるようになる。今夜中に保証人のハンコをついてもらわなければ、店も何もかも人手に渡るという進退きわまったときに、お浜が他の男と結婚するという話を聞く。

金と恋とが、もろともに最悪の状況に。悲惨の追い討ち。フィクションとはいえ、よくまあ、こんなに悲惨の加速で動かしてゆくようなお話を作れるものだ。広津柳浪という人は、よっぽど暗い性格の人だったのだろう(彼の小説の当時のキャッチフレーズは「悲惨小説」だって)。

「かわいそうなお話」には違いないのだが、後半、妙な凄味が出てくる。やけっぱちになった伝吉は、吉原田甫で知人を殺してしまい、しばらくそしらぬ顔して自宅や仁寿堂の様子をうかがうのだが、そのあとの行動があまりにも異様だ。やみくもに都内を駆けめぐる。人力車(くるま)に乗って上野をめざしたかと思うと、急に気を変え王子のほうへ。人力車を乗り捨て、突如、熊谷行きの列車に乗るかと思うと、気が変わって根岸へ。「或時は畑を横ぎり、或時は人家の垣を潜り……」といった調子で駆け回る。どこにもジッとしていない。何かにせきたてられるかのように、忙しく、さまよう。伝吉は、何か、得体の知れない、すさまじいエネルギーのかたまりとなったかのようだ。

涙のもっと先にある、奇怪に狂おしい心の世界にまで踏み込んでいる。「不条理」というものか。それがこの小説に、「かわいそうなお話」とばかり言えない、一種モダンな凄味を与えている。明治二十八年の作だなんて、信じられない。

古書マニアの友人によると、柳浪といったら『今戸心中』、ほとんどこの一作だけが有名なのだそうだ。

確かに、これもたいへん面白かった。吉原のおいらんが惚れた男とではなく、その純愛のために皮肉にも別の男と心中する、という話。

息子の広津和郎による巻末解説によると、父・柳浪はやっぱり、「外を歩くにも賑かな表通を好まず、薄暗いやうな裏通を選んで歩いてゐた」、そういう人だったそうだ。

「今戸心中」

前項に続いて、今項は柳浪の最高傑作と言われている『今戸心中』について書いてみよう。

『今戸心中』は面白い話である。タイトル通り心中物だが、女が思いこがれた男とではなく、別の男と心中してしまうというのが、何といってもユニークだ。

ヒロインは、まだ江戸の名残をとどめる吉原遊廓のおいらん吉里(よしさと)である。これが客の平田という男と相思相愛の仲になる。ところが平田は、父親が事業に失敗したため家を立て直すべく郷里に帰らなくてはならなくなる。突然、別れの日がやって来たのだ。

小説は、この最後の夜から始まる。別れることが納得できない吉里は拗(す)ねている。わざと平田を無視して、同じ座敷に同席している西宮(平田の親友)にばかり、べたついている。たまに平田にかける言葉には険(けん)がある。

「平田さん、お前さん能(よ)く今晩来たのね。未だお国へ行かないの」

平田はひとことも口をきけず、吉里の顔を直視することもできないでいる。

食ひたくもない下物(さかな)を挘(むし)ツたり、煮付(にえつ)く楽鍋(たのしみなべ)に杯泉(はいせん)の水を加(さ)したり、三つ葉を挟(はさ)んで見たり、種々(いろいろ)に自分を持扱ひながら、吉里が此方(こちら)を見て居らぬ隙を覘ツては、眼を放し得なかツたのである。隙を見損なツて、覚えず今吉里へ顔を見合せると、涙一杯の眼で怨めしさうに自分を見詰めて居たので、はツと思ひながら外(はづ)し損ひ、同じく眤(じツ)と見詰めた。吉里の眼にははらはらと涙が零れると、平田は耐らなくなツて垂頭(うつむ)いて、深く息を吐(つ)いて涙ぐんだ。

――という有様である。

目と目の会話。ちょっとした視線に激しい思いがこもる。サスペンスフルである。作者はこういう視線のやりとりの描写に行数をさき、そのあとのベッドシーンにかんしてはまったく描写しない。そこが、賢明なところだ。人前で、目と目で語り合うしかないというじれったさが、それぞれの思いを尖鋭にきわ立たせているのだ。

さて、平田と別れて別人のごとく暗く無気力になった吉里のもとへ、あいかわらず美濃屋善吉が通いつめて来る。善吉は「年は四十ばかりで、軽(かろ)からぬ痘痕(いも)があツて、口つき鼻つきは尋常であるが、左の眼蓋(まぶた)に眼張(めツぱ)の様な疵があり、見た所の下品(やすい)小柄の男である」。

その善吉が吉里に酌をしてもらいながら、「今日限(けふつき)りなんだ」「今日がお別れなんです」と言う。吉原に通いつめるようになって、金につまって破産し、妻も実家に帰し、自分は宿無しになってしまった。今日は吉里に最後に一目逢いたいと思ってやって来た。こうして酌をしてもらって、いい気持に酔って帰れば、もう未練はない――と言うのだ。

あんなに嫌っていた善吉なのに、吉里は善吉の語るのを聞くうちに、だんだん妙な気持になっていく。平田と別れた自分の気持と、自分と別れる善吉の気持が、妙にシンクロしてしまうのだ。

平田が恋しくなツて、善吉が気の毒になツて、心細くなツて、自分が果敢(はか)なまれて沈んで行く様に頭が森(しん)となつて、耳には善吉の言葉が一々能(よ)く聞え、善吉の泣いて居るのも能く見え、耐らなく悲しくなツて来て、終(つい)に泣出さずには居られなかツた。

というわけで、吉里は自分の金をはたいて善吉を吉原へ呼ぶ。しばらくの間、善吉は三日にあげず来ていたが、そののちは金も尽き、あがることもなくなり、「時々耄碌頭巾(もうろくづきん)を冠(かぶ)ツて忍んで店まで逢ひに来る様になツた、田甫に向いて居る吉里の室の窓の下に、鉄漿(おはぐろ)溝を隔て善吉が立ツて居るのを見掛けた者もあツた」とまで、落ちぶれてゆく。

おいらんたちは「どうして善さんを吉里さんは情夫(いいひと)に為たんだらうね。最初は、気の毒になるほど冷遇(いやが)ツてたぢやアないかね」と噂しあう。

そうしてある日のこと、吉里は善吉と隅田川に身を投げて心中してしまう。そのとき、吉里が遺したのは一通の手紙と、写真だった。その写真というのは、「平田と吉里のを表と表と合せて、裏には心と云ふ字を大きく書き、捻紙(こより)にて十文字に絡(から)げ」たものなのだった。

最後の最後まで、吉里は平田のことを思って死んでいくのである。いっしょに死ぬ善吉ではなくて、自分のもとから去った男のことを思って、善吉とともに落ちてゆくのである。こんな皮肉な心中物語も珍しいが、柳浪は実際に吉原であった心中事件(この小説の八年ほど前)からヒントを得て書いたという。

この『今戸心中』が書かれたのは明治二十九年で、すでに明治二十年に二葉亭四迷の『浮雲』が出ているが、まだ口語体で書かれた小説は珍しかった。明治二十九年というのは、前年には一葉の『たけくらべ』『にごりえ』などがあり、翌年には紅葉の『金色夜叉』がスタートするという、そういう年である。そういう中では、『今戸心中』はずいぶんとこなれた口語体小説だったのではないかと思う。

かなわぬ恋ゆえの淋しさを共有する男女の心中――という着想ばかりではなく、吉原の女たちの会話部分が生き生きととらえられているのも、この小説の魅力だ。

「うるさいよ。余(あんま)りしつこいぢやアないか。くさくさ為(し)ツちまふよ」

「お前さんに調(こさ)へて貰やア為(し)まいし、関(かま)ツてお呉れでない」

「如何(どう)なるものかね。其時や其時で、如何か斯うか追付(おツつ)けとくのさ」

「おへない妬漢(ぢんすけ)だよ」といったセリフが楽しい。

ところで、私は今まで広津柳浪のことを広津和郎の父親というくらいの認識しかなかったが、実は、広津柳浪ってあの永井荷風の師匠でもあったのね。たいして長い期間ではない。何回か作品を見、それに柳浪が手を入れて合作の形で発表したこともあったそうだ。結局原稿料のことで荷風が気を悪くして柳浪のもとから去っていったという。

そうだ。それから広津柳浪がこの『今戸心中』を書いていた頃住んでいた家は矢来町三番地中丸という所にあり、同住所のすぐ近くには中根という家があって、その中根家の娘の鏡子と夏目金之助(漱石)はまさにこの明治二十九年にうちわで結婚式をあげた。そして、その矢来町三番地中丸という所にはのちに新潮社が建つことになった……。

明治時代の作家のものを読んでいると、そんなふうにずるずると人脈がつながっていくので、ミーハー的興味もかきたてられ、どんどん深みにはまってしまいそうだ。それというのも、当時の東京は狭かった――というのが大きい。北は日暮里、南は高輪、西は四谷、東は向島、せいぜいそのくらいの範囲なのだもの。当時の作家たちはその狭い範囲の中で驚くほど盛んにゆききしていたのだった。

【この書評が収録されている書籍】
アメーバのように。私の本棚  / 中野 翠
アメーバのように。私の本棚
  • 著者:中野 翠
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(525ページ)
  • 発売日:2010-03-12
  • ISBN-10:4480426906
  • ISBN-13:978-4480426901
内容紹介:
世の中どう変わろうと、読み継がれていって欲しい本を熱く紹介。ここ20年間に書いた書評から選んだ「ベスト・オブ・中野書評」。文庫オリジナルの偏愛中野文学館。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

今戸心中―他二篇 / 広津 柳浪
今戸心中―他二篇
  • 著者:広津 柳浪
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(230ページ)
  • 発売日:1991-03-05
  • ISBN-10:4003100816
  • ISBN-13:978-4003100813
内容紹介:
「今戸心中」は,鏡花,一葉らとともに当時新進作家として注目されていた柳浪(1861‐1928)の名を決定的たらしめたものである.花柳の巷に華咲く男女の恋愛心理の機微をうがったもので,巧みな会話と描写によりこの世界の人間像を心憎いまでに書き表わしている.一葉の「にごりえ」とともに当時の悲劇小説の代表作.解説=広津和郎

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

毎日グラフ・アミューズ(終刊)

毎日グラフ・アミューズ(終刊) 1995年3月8日号~1997年1月8日号

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
中野 翠の書評/解説/選評
ページトップへ