後書き

『未熟児を陳列した男:新生児医療の奇妙なはじまり』(原書房)

  • 2020/03/11
未熟児を陳列した男:新生児医療の奇妙なはじまり / ドーン・ラッフェル
未熟児を陳列した男:新生児医療の奇妙なはじまり
  • 著者:ドーン・ラッフェル
  • 翻訳:林 啓恵
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(304ページ)
  • 発売日:2020-02-19
  • ISBN-10:4562057319
  • ISBN-13:978-4562057313
内容紹介:
七千人もの未熟児の命を救った奇跡の箱――保育器を広めたのは、博覧会で未熟児たちを「陳列」した、自称「医師」の興行師だった。新生児医療の奇妙な始まりを描く、驚くべき歴史ノンフィクション! 貴重図版多数。
昨年、日本でもTwitterなどで話題になった奇跡の実話をご存じだろうか。
まだまだ医療が未発達だった20世紀初頭のアメリカで、ただ死にゆく運命にあった7000人もの未熟児たちを救ったのが、自称「医師」の興行師、つまり偽医者だったという嘘のような本当の話。
しかもドクター・クーニーと名乗るその男は、未熟児を見世物にしながら救うという、われわれの想像のはるか斜め上をいく方法でやってのけた。
「本物」の医師たちが「救う価値がない」と見放したわずか2ポンド(907グラム)の未熟児たちを引き取り、当時はまだ珍しかった保育器に入れ、万国博覧会やコニーアイランドといった行楽地で展示して客からお金を取っていたのだ。
反対に、貧しい親からはいっさい金をとらず、病院とは比較にならないほど完璧なケアを赤ん坊にほどこした(ちなみに本書によると当時の産院では、妊婦が入院すると「頭に灯油とエーテルを振りかけ、髪はアンモニアで洗い、産後は丸二日間も食事なし」という悲惨な状況だった)。
いまでこそ「アメリカの新生児医療の父」と称えられているクーニーだが、その人生はずっと謎に包まれていた。名前をコロコロと変え、経歴詐称、出生地すら不明。
すっかり歴史の闇に忘れ去られていたこの興行師に光を当て、初めて新生児医療の黎明を明らかにしたのが本書だ。クーニーの数奇な人生もさることながら、当時のアメリカで興隆を見せていた過激な優生思想についても触れられていて、あのヘレン・ケラーでさえも優生思想を支持していたという驚きの事実が明かされる。命の価値とは何なのか、現代のわたしたちに問う『未熟児を陳列した男』の訳者あとがきを公開する。

謎の興行師、ドクター・クーニー現わる!

マーティン・A・クーニーとは、いったい何者だったのでしょう?
いまはなきプロイセンのクロトシンで4人きょうだいの末っ子として生まれ、ヨーロッパで医術を学んだとの触れ込みでアメリカに渡り、アメリカの博覧会の会場や、アミューズメントパークで赤ちゃん入りの保育器を展示した男。
自称〝医師〟にして、興行師。コニーアイランドでの入場料は25セント。その一方で、赤ちゃんの両親にはお金を請求しなかったとされます。

そんな彼の人生に興味を持った人はこれまでもいましたが、その謎の多くは解明されずにきました。本書はそんな謎に取りつかれた著者が、各地の図書館や文書館などをめぐって貴重な資料にあたり、生存者や関係者への取材を重ねながら、マーティン・クーニーの生涯を明らかにしたノンフィクション作品です。
彼の人生をたどると同時に、当時のアメリカにおける新生児学のあり方を浮かびあがらせ、またニューヨークっ子の愛する行楽地コニーアイランドの風俗や、当時の博覧会のようすを生き生きと伝えてくれています。
彼の展示が長く続いた背景には、アメリカにおける新生児医療のあり方が大きく関わっていました。また、彼の活躍した時代は、優性思想が広く流布した時代でもありました。ふつうとは異なる、弱きものが、ともすれば排除されがちな時代にあって、マーティン・クーニーはその生涯をかけて6500人から7000人の未熟児を救ったとされます。

それだけ聞くと、義憤にかられたブラックジャックのような人物を思い浮かべがちですが、本書から伝わってくる彼の姿は、どこか悲しげで、ユーモラスなものです。
身長は低め、小太りで、料理好きの美食家、ワインも高級品を好み、しゃれた服装。わたしの頭のなかに浮かんだのは、テレビ版『名探偵ポワロ』を庶民的にしたような人物。それでいて、自分の経歴を粉飾する、山師的な人物でもあり、けれどナチスドイツの勢いが増してきたときは、手弁当でユダヤ人の救出に走りまわったりもする行動の人。貧乏になってからも人に食事をごちそうしたがったという、気前のいい人。なんと複雑な人物でしょう。

アメリカじゅうの病院に保育器を! 借金にあえいでも捨てなかった夢

マーティンの保育器展示デビューは、1897年、ロンドンでの博覧会でした。
当時のヨーロッパでは保育器が作られ、医師たちがその性能を競っていました。ロンドンでの大成功に味を占めたマーティンは、相棒のサム・シェンケインとともにアメリカでの展示に乗りだします。
最初が翌年のネブラスカ州オマハ、つぎが1901年、ニューヨーク州バッファローでしたが、時の大統領ウィリアム・マッキンリーが暗殺されたこの博覧会では、資金が回収できず、出資者から訴えられる騒ぎになります。
それでもマーティンはめげることなく、1903年、コニーアイランドで保育器の展示を開始します。その同じ年に、看護師として働いてくれていたメイと結婚。当時の2人の頭のなかには、自分たちが展示していた保育器が病院に採用される夢があったのではないでしょうか。というのも、当時のアメリカの病院には保育器が普及しておらず、また未熟児をケアする技術も確立していませんでした。

健康な赤ちゃんコンテスト開催。ナチスにも影響を与えたアメリカの優生思想

マーティン・クーニーの展示場はその後も長らく、そうした子供たちを預かって助けてくれる数少ない場所としての地位を保ちつづけることになります。
20世紀前半、2つの大戦があり、アメリカが大不況にあえいだ時代、そして、アメリカにおいて優性思想が幅をきかせた時代のことです。

優性思想と聞くと、わたしたちはナチスによる苛烈な民族浄化などを思い浮かべがちですが、最初に優生学の語を用いたのはイギリスの遺伝学者フランシス・ゴルトンであり、20世紀初頭においてもっとも優生学的な政策が採られていたのはアメリカでした。
当初はより優秀な子孫を残すという目的で論じられていましたが、やがて劣った遺伝形質を持つ人たちの子孫を残さないという方向に向かい、それがナチスによる人種そのものの絶滅政策へとつながったのです。

本書内でも紹介されているとおり、アイオワで1911年にはじまった〝よりよい赤ん坊コンテスト〟が全国に広まり、はては現職のハリー・ハイゼルデン医師が登場して、正体不明の遺伝病に冒された赤ちゃんを見殺しにする映画『黒いコウノトリ』(1917年)が公開されるまでの流れは、そうした優性思想の変遷を忠実に反映しているように見えます。
みずから障害者にして、障害者支援活動にも熱心だったヘレン・ケラーも、この医師ハイゼルデンの味方をしたというのですから、当時の優生思想の興隆ぶりがうかがえるというものです。

病気や障害を取りのぞくための医療は、いつの時代にも望まれています。けれど、その一方で、今生きている人たちがないがしろにされるようなことがあってはなりません。
その点、マーティン・クーニーが行っていたことは爽快です。そう、「赤ん坊を見世物にするこの楽しいビジネスには、痒いところに手が届くような満足感」があります。
うさんくさい人ではあるけれど、儲けつつ赤ちゃんを助け、同胞を救うために走りまわり、人と食卓を囲むことが大好きだったマーティン・クーニーには、その欠点もふくめて、人として愛さずにいられないところがあります。

[書き手]林啓恵(翻訳家)
未熟児を陳列した男:新生児医療の奇妙なはじまり / ドーン・ラッフェル
未熟児を陳列した男:新生児医療の奇妙なはじまり
  • 著者:ドーン・ラッフェル
  • 翻訳:林 啓恵
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(304ページ)
  • 発売日:2020-02-19
  • ISBN-10:4562057319
  • ISBN-13:978-4562057313
内容紹介:
七千人もの未熟児の命を救った奇跡の箱――保育器を広めたのは、博覧会で未熟児たちを「陳列」した、自称「医師」の興行師だった。新生児医療の奇妙な始まりを描く、驚くべき歴史ノンフィクション! 貴重図版多数。

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