書評
『旅行ノススメ―昭和が生んだ庶民の「新文化」』(中央公論社)
「旅」から「旅行」への変化追う
昭和の初めに、柳田国男は「旅行」を新文化のおかげで生まれた新たな楽しみと捉えたという。著者が言うように、これはなかなか鋭い指摘だ。昭和の歴史は質量ともに「旅行」が拡大する歴史に他ならなかったからである。一部の特権階級だけの専有物だった「旅」が、大正期をへて急速に大衆文化の一翼を担う「旅行」に変わっていく過程を、著者は「旅行」のカテゴリーごとに論じていく。まずは旅行業からだ。明治前期に外国人賓客接待の制度化の見地から政府主導の形で「喜賓会」が生まれる。明治末には鉄道院が中心となりジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTB)が発足する。
やはり「旅行」の領域も、ご多分に漏れず官営でスタートしている。JTBがビジネスの視点を導入するのが昭和初年。しかしJTBの後身日本交通公社が東京オリンピックの年(一九六四年)に株式会社組織をようやく持ったというのは、意外な気がする。いくら何でも遅すぎやしないか。戦争による停滞期をはさんでなお、ディスカバー・ジャパンの系譜に連なる宣伝を始め、修学旅行の普及、新婚旅行の大衆化、団体旅行の隆盛と、「旅行」の発展は止められぬ趨勢になっていたのだから。
それでも、旅行業が総合的な営利企業として成り立つ素地は、高度成長待ったなしの時期に突入するまでなかったのかもしれない。それはあたかも、衣食住の中で住に関わる不動産・住宅産業の企業化が、やはり一歩遅れてこの時期に始まったことに類似している。高度成長期に入って衣食足りた後、人がその欲求を本格的に定住と移動へとむけた結果、そこに二つの大きな次なるビジネスチャンスが生み出されたのではあるまいか。
そのいきつく所が、今や暴発的流行となった海外旅行だ。著者述べるが如く、これぞまさしく豊かさの象徴以外の何ものでもない。文字通り百聞は一見にしかず。外国を見ることによって、日本がそして自分自身が相対化されることになる。
だが待てよ、今十代から二十代の若者にとっては、相対化ではなく逆に絶対化の契機となるやもしれぬ。その時、「旅行」の文化的意味は、今一度転換を遂げることになろう。
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