書評
『映画の戦後』(七つ森書館)
「戦後」と同時代と映像的深まり
邦画、洋画にわたり二十六篇を収めている。ほぼこの十数年に発表された。なかに三篇、とび抜けて古いものがまじっている。一つは一九七二年、もう一つは一九八○年、さらに一つは一九八四年の初出。そのうちの二つはマッカーシズム、一九五○年代のアメリカで吹き荒れた「赤狩り」を扱っている。そのなかで裏切り者、密告者となったハリウッドの監督エドワード・ドミトリクについては、二十九年後に再び論じた。いかに長い関心の持続とともに追いつづけていたかが見てとれる。映画評論家川本三郎は、そこから誕生した。当時は「オキュパイド・ジャパン(占領下日本)」の時代であって、日本人は誰もさして深刻にはとらなかった。アメリカは進駐軍や『リーダーズ・ダイジェスト』やボーイスカウトとともにやってきた。民主主義と摩天楼とポップコーンの国、偉大なアメリカ、美しいアメリカ。
一九四七年、アメリカ議会がハリウッドの映画人の思想調査に乗り出したのが始まりだった。聴聞会で憲法の保障する思想の自由を盾に証言拒否をするだけで犯罪とされ、刑務所へ送られた。一九五○年、上院議員ジョセフ・マッカーシーの猛烈な“アカ”攻撃の演説が火つけ役になり、アメリカ全土がマス・ヒステリー状態におちいった。
米ソ冷戦のただ中である。ローゼンバーグ夫妻がスパイ容疑で逮捕された。朝鮮戦争が勃発した。日本が「特需景気」で浮かれていたころ、偉大なアメリカが終わり、醜いアメリカが始まった。
ドミトリク監督による「ケイン号の叛乱(はんらん)」「折れた槍(やり)」「愛情の花咲く樹」「若き獅子たち」あるいはエリア・カザン監督の「波止場」「エデンの東」「群衆の中の一つの顔」……。映画少年は乏しい財布をはたいてスクリーンを見つめていた。
「十代のときに感動した映画を作った監督が権力に協力した『密告者』として指弾されている」
二十代で知ったことが映画を見る目を変えていく。丹念に彼らのマイナーな小品までも見ていった。権力に抵抗した者=善、妥協した者=悪。そんな図式で片づけていいものか。いま、ある世代の元映画少年は、名作「ケイン号の叛乱」のフシギな終わりを覚えている。期待したとおりの終末に、小さなどんでん返しがついていた。「いったい、どういうことだろう?」
何やら解せぬ思いのままに席を立った。全体はおぼろげだが、あるシーンは強烈に印象づけられている記憶があるものだ。シドニー・ルメットの有名な「十二人の怒れる男」で、最後まで少年被告の有罪を主張しつづける男。ただわめき立てるだけだが、きれいごとの正義のなかの悪玉が気になった。
そんな思いのある人には、「大衆の反乱、知識人の戦慄(せんりつ)」をおすすめしよう。四十三年前の映画評論に、何げない記憶の性質がどんなに遠いところまで人をつれていくか、きわめて具体的に述べてある。
東部の知識階級とアメリカ大衆との関係は、アメリカという国を考える上で、つねに立ちもどるべき一点なのだ。黒人問題も含めて、アメリカ社会の構造は、五○年代のマス・ヒステリーの時代と何も変わっていない。のちのニクソン大統領はマッカーシーの同僚として頭角をあらわした。ベトナム戦争が泥沼化したのは、若き希望の星、大統領ケネディの時代だった。タイトルにある「戦後」が、どのような映像的深まりをおびて示されるか。この映画評論家を同時代に持つ幸せを、あらためて思い知るだろう。
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